Lingua furanca.

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田舎のさびれたカウンターの中に、彼はいた。
かれこれ1年くらいになるだろうか。最初は自己満足的につくっていた酒も、色々な人が次第に飲みに来てくれるようになった。自分もそれに答えられればと料理の種類を増やし、つたないオリジナルカクテルを考案し、少しでも新鮮な食品を手に入れようと市場を回ったものだ。
そして、今では少しずつではあるが、人の出入りもある。口コミで紹介してくれる人もいる。なんとありがたいことだろう。
しかし、ふと自分の手元にあるカクテルを見てみる。
ああ、自分はおいしいと思ったものを出しているつもりだ。しかし、他の人の目にはこれはどう映っているんだ?そう、不安にかられることが時々あるのだ。
しかし、自分にはただひたすら作ることしか出来ない。
 
そんなことを考えていると、扉が開いた。
「はは、マスター。なんだか湿っぽい顔していますね。」
スーツを着た、メガネの男性だった。そのような格好の客は時々見かけるが、この時間帯にはあまりにも浮いている。顔だちに個性がない。もしかしたら今まで来た客の一人かもしれない、と思い、笑顔で振り返った。
「いやいや、何をおっしゃいますやら。元気ですよー、ほらほら。」
彼は笑顔を浮かべながら、ムダに激しくシェイカーを振った。
「そうか、ならいいですよ。」
男は肩を揺らして笑いながら、イスに座った。「それでは、なんでもいいのでおすすめ一つお願いします。」
「へ、お、おすすめですか?」
「おすすめですよ。」
「あ、は、はい。」
 
彼は慌てて新しいシェイカーを準備した。さて、困った。いや、普段からやっていることなのに、なぜかこの男性に言われると、何を出せばいいのかすら分からなくなってしまったのだ。頭が混乱する、というのは本当にあるものだ。あちらこちらの酒に手を伸ばし、引っ込め、そのうち視点がおろおろとし始めてしまった。そして、彼は、手を止めた。
「どうしたんですか?」
「いやあ、すいません。なんだかちょっとパニックになっちゃいまして。あはは、こりゃ失格ですな。」彼は笑った。しかし男は笑わなかった。
「ほう。それはまた。」男は視線を彼に向ける。笑っているのか怒っているのかもわからない。「それじゃあ、あなたの好きなもので。」
「私の好きなものがお口にあうかどうかは、わかりませんが…。」彼はおちゃらける余裕もなくし、深呼吸をした。そして、自分の思いつくままに、混ぜ合わせ始めた。
「はい、『petite soeur』でございます。」
「いただきます。」男は口元をほころばせながら言った。そして、口をつける。「なるほど、あなたの好みそうな味だ。悪くない。」
「あはは、は。心読まれているみたいですな。」彼は急に恥ずかしくなった。まるで初めて、客が来たときに酒を出したような気持ちだった。「光栄です。そんなこと言われたのは久しぶりですよ。あはあ。なんだか冷や汗までかいてしまいました。緊張するものですねえ。」
「ふむ。」男は目を細めた。「言い方が悪かったでしょうか。」
「とんでもないとんでもない!」彼は両手を前にして、首をぶんぶん振った。「とてもうれしいですよ!ただね。時々急に不安になることがあるのですよ。」
「ふむ。よかったら聞かせてください。私も似たようなことあるのでね。」男はグラスを置きながら言った。
 
「やはりあるものなんですかねえ。」彼は手を拭き、指を組んだ。
「ありますよ。」
「そうですか…。いやね。時々思うんですよ。こんな小さな店ですが、自分はとても楽しいわけです。毎日何か一品でもお客様にお出し出来ればそれはとても幸せなわけです。しかしね、なんというのでしょうか、それが本当においしいかどうか時々分からなくなるのです。全力で作っているつもりですが、不安がよぎるのです。もっともそれを考えたら何も出来なくなるので、ただこつこつと、おいしいだろうと思うものを作るしか出来ないのですがね。」
「そんなに、周りの目が気になるんですか?」男はとてもやわらかい口調で言った。再びカクテルグラスに手を伸ばす。
「そう、かもしれませんねえ。自己満足なだけではお客様に失礼だ。だけど、自分のどうしても作りたいものがある。そのどうしようもなく身勝手な欲求が、本当に相手に受け入れられるのか?そんな独りよがりなものをお出しして、お客様はイヤな気分になるのではないか?それで得るものはなくとも、失なってしまう信頼はあるのではないか?と。」
はっ、と彼は我に返り、小さな声で「すいませんつい」と謝った。男は小さく笑う。
 
「熱いじゃないですか。うん、それでいい。」男は微笑んだ。「しかし、あなたは一つだけ、客に間違いを犯している。」
「間違い、ですか?」彼は、ちょっとだけ心臓がしめつけられる気持ちになった。
「『お客様のために』というのを隠れ蓑にして、自分のやりたいことから逃げている、違いますか。」男は眼鏡の奥で、眼を細くして微笑んだ。
「そ、それをやってしまうのは自己満足になるのではないかと恐ろしいんです!自分勝手をやって、自慰を見せてどうなるんですか、お客様はそんなものを求めていませんよ。」勢いで言った後、自分が言った言葉にハッとしながらも、話をとぎらせることはできなかった。
「自慰も見せられないでどうしますか。自分が満足しないでどうしますか。それを選ぶのは相手側でしょう。」男はゆっくりと言った。まるで言葉を置くかのように。「あなたは、自分が得ることができた貴重なものを、失う不安でいっぱいなんですよ。しかし得られたものは、失われることはない。失われることを恐れていては何も得られない。」
「得たもの…」彼は無意識のうちにグラスを拭きながら言った。
「そうですよ、得たものです。」
「信頼…いや違う。そうか、私は今までお客様にたくさんの時間をいただいた。自分も楽しいと思える時間を沢山得てきた。これは、何があろうと失われません。」
「あなたらしい答えだ。」男は眼鏡をおさえながら笑った。
「ええ、私は、楽しんでいますよ!もちろん全てのお客様にそれが受け入れられるなんて思ってもいません。でもね、時々、おいしいと言ってくれる人がいる。食べたり飲んだりしてくれて、ほんの少しでも感じてくれる人がいる。そして、この小さな店で、かけがえのない時間を過ごしてくれる。自分も心から好きなものを『好きなんです』と言って楽しい時間を過ごす場所がある。こんなに貴重なお代はないですよ!」
彼はだんだん手に力が入ってきた。しゃべりも熱っぽくなる。それに気づき、ちょっとだけ頬を赤らめる。
「燃えてますね。」男は笑いながらお金を置いた。「まあ、それでいいじゃないですか。それじゃ僕は行きますね。そして、僕も自分のために何かしますか。熱い気分になりましたよ。」
「あなたは、一体何を?」
「秘密ですよ。」男は後ろ向きに微笑んだ。「また、会えると思いますし、それでいいじゃないですか。」
「はは、まあ、そうですな。」彼は目元を和らげながら言った。「ありがとうございました。」
 
閉店し、誰もいなくなった店で彼は自作のメニュー表を見ていた。やみくもになっているものもある。時にはとんちんかんな方向に行ってしまっているのもある。恥ずかしいものもある。しかしそんなものでも、自分はその時楽しかったんだな、と思うとかけがいのない物に見えてくる。また、合うか合わないかは別としても、1mgでも心に触れて、時間を費やし、足を止めてくれた人もいることを思うと心がギュっと締め付けられてくる。
陳腐で夢見がちなお子様だな。しかし、夢見ても「それでいいじゃないですか。」。
「よし!」彼は厨房にかけこんでピンク・赤・黄色・青・緑の酒を一気に混ぜ合わせ、自分で飲んだ。「いいじゃないか!」。
メニュー表を力いっぱい開くと、「新メニュー欄」にペンでカクテルの名前を書き込んだ。
「プリキュア5」と。
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