Lingua furanca.

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ブログ、特にテキストを書いている者にとっては
誰にでも「理想とするエントリ」というものを持っているのではないかと思う。

しかしながら私はLingua furanca.に参加した当初、
「理想とするエントリ」を持っていなかった。ただ漠然と

・とりあえず読んでもらえればそれでいい

そう思っていた。

しばらくは文章を書くことが楽しい、皆に楽しんでもらえて嬉しい。
そういう時期が続いた。

しかし。

私は出会ってしまった。理想とするエントリに。

思い出の一枚 / まなめ

■Ctrl+A

そのエントリはまず文字の配置がすばらしく、緩急をつけたその配置は後半の緊張感をより高めてくれ、一気にオチへと誘導してくれている。
内容では無く、配置で読者の感情を揺さぶるこの手法、シンプルながら非常に効果的。

また、りんふら読者への心配りも忘れていない。
引用させて頂くと

時代背景的に、当時は法整備もなっていなかったと言われていて代表者が集まって一つずつ法律を出し合ったりしたこともあったと言われている。

この部分。見事に過去のお題を紛れ込ませることに成功している。
普段からりんふらのエントリを読んでいる方々へのさりげないサービスが心憎い。

更に、
アキバ星のメイド喫茶ツアーやツンデレお嬢さん社長など、
ふんだんに小ネタをちりばめ読者を飽きさせることをさせない。

どこを読んでも面白く、付け入るスキを全く見せないこのエントリは
未だに私の中で「りんふらベスト・エントリ」となっているのだ。

■Delete

さて。
理想とするエントリを見つけた私はどうだったか。

書けなくなってしまった。

いや、書けなくなってしまったのでは無い。書いたものを提出できなくなってしまったのだ。

書きあがったテキストを読み返す。
こんなんじゃない。こんなんじゃ満足いかない。こんなんじゃダメだ。
書き直す。これもダメ。書き直す。まだ納得いかない。あのエントリを超えられない。

あのエントリを意識しすぎるあまり、あのエントリを超えたいと思うあまり。
このエントリでは誰も満足しない。このエントリでは誰も楽しめない。

競うためにりんふらにいるわけではない。競うためにテキストを書いているわけではない。
それは分かっている。しかし。同じお題でテキストを書きあうLingua furanca.という空間内では無意識にでも他のエントリを意識してしまっているのだ。あまりにも過剰なまでに。

私を一撃で戦闘不能に陥らせたエントリ。

あのエントリが無ければ―こんなことにはならなかったのだろうか。


■Ctrl+Z

否。これは自分自身の問題なのだ。

私は全く読者のことを考えていなかった。自分で勝手にハードルを上げ自分が満足できなければ読者も満足できないのだろうと勝手に考えている。

本当に私のエントリを楽しみに待ってくれている人もいるというのに。

そう―

最初に掲げた

・とりあえず読んでもらえればそれでいい

ここに戻ってみようじゃないか。楽しいと判断するのは自分ではない。

楽しいとか楽しくないとか―

それはテキストを提出しないと分からないのだから。
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お題の第15回は、「過去のLingua furanca.記事にトラックバック」です。

発案者はアシタノ(アシタノ!)です。
今回のお題は、「あなたが誇れるところ」です。
ってことで誇れるところを考えたのですが…

ねーよ。

で終わるのはまずいと思うので、何を書けばいいのやら。

誇るといえば、ほぼ毎日更新していることくらいじゃないでしょうか。
まぁ、ニュースサイトにとっては最低条件なんですが。

あとは、浅く広いオタ関連の知識とか?深い知識は身に付かないのはニュースサイトのサガですよね?

正直、自分が誇れる人生を送っていたのは、大学に入る前までのマジメだった頃の自分かと思われ…。浪人時代に1日10時間以上勉強してたあのまじめな自分はいったいどこにいったんだ(笑)今の社会人生活もその貯金で成り立っているしね。
大学に入ってから、本当に堕落しました。おかげさまで、徹夜でRPGクリアしたり、エロゲにはまったり。最終的にはブログを始めて、普通に生きているだけでは知れなかったいろいろな人がいることを知ることができた利点があるからいいんだけどね。
まぁ、付け加えるとブログを始める前ならゲームのプレイ時間は誇れていたんだけど、ネットでいろんな人を知ると自分なんて全然やってないじゃんって思うようになりましたし。

とりあえず、りんふらの中の人たちは、本当にみんな凄い人たちだ!と誇っていいと思う。みんな上手すぎて、自分がここまで文章能力がないとは思わなかった。

でも、そういう井の中蛙だった至らない面を認めて、自分自身を一歩一歩理想の誇れる自分に変われるように目指して生きていこうと思うようにはなりました。今日の自分は誇れなくとも、明日の自分は誇れるように。
 今回のお題は、有賀さんから「あなたが誇れるところ」だそうです。いやー、なんか、恥ずかしいですね。自分で自分のことを誉めなければいけないんですから。語りすぎても、どんだけ自分が好きなんだよって思われそうです。だからといって、語らなすぎても、それはそれで空気読めって話ですし。羞恥プレイなのですか、そうなのですか。

 ともかくとして、自分で自分のことを書くのは恥ずかしいので、他人の言葉を借りることにします。人から指摘されることの多い単語をキーワードにして二つ、自分自身が誇れると思うところを一つ。合計で三つの章に分けさせてもらいます。

 まず、僕が形容されることの多い言葉は「真面目」である、というものです。他人より神経質な部分は自覚していますが、実のところ、自分が真面目だと思えません。ただ、そういって下さる方のために、真面目な自分をアピールしてみます。

 僕はDiary of Hopless Sinnerというサイトに間借りして、更新を続けております。このサイトはHopelessさんが立ち上げて方向性を作り、サムさんが盛り上げて人気を不動のものにした、2chのスレッドをまとめるブログです。他にも何人かいらっしゃるのですが、実質的には僕で三代目というわけです。

 このサイトに参加するにあたって、僕はHopelessさんにある宣言をしました。それは「週に二回は更新をする」という内容のものです。2ch系ブログでは一日複数回更新もザラにあるのですが、それは僕の実力では不可能です。ですから、せめて週に二回は更新する、と言ってみたのです。

 そこから十一ヶ月間、色々なことがありました。仕事ばかりで休みの取れない一ヶ月、飲み会が連続した二週間、チョコのもらえないバレンタイン。それはもう、色々でした。そういった日々でも、週に二回の更新はほぼ欠かしておりません。ここ最近、さすがに辛くなってきましたが、それでも一定のペースで更新は続けているのです。これはウェブサイトの管理人のほとんどに言えることですが、美徳だと言えるでしょう。

 次に、多く言われるのは「奇人」である、ということです。多少風変わりかもしれないなとは思いますが、これも全く見当違いの言葉としか思いません。ただ、多くの方がおっしゃるのだから、それに見合ったエピソードを語ってみます。

 うちのサイトの特徴は、マイナーな板の、特殊なスレッドをまとめている点にあります。それはHopelessさんが始めた時からそうでしたし、サムさんが強化していった部分もあります。そういう流れがありますから、間借りしている僕も伝統を引き継がざるをえません。

 一口に変わったスレッドといっても、その内容は様々です。例えば、豆腐の角に頭ぶつけて死ぬ事は可能か?@物理部活動同士が戦ったら、一番強いのは何部?@創作文芸のように、何にカテゴライズしていいのか分からないけれど、面白いスレッドがあります。

 また、渋滞を無くす方法教えて★@シミュレーション災害時のトイレをくそまじめに語るスレ@自然災害のように、お硬すぎる内容ゆえに他では取り上げられなさそうなものを題材にすることもあります。

 そして、彼女を強制近視化するスレ@めがね・コンタクト◆ニワトリをどうにかして野生に返してやりたい@昆虫、野生動物など、なんとも形容できないシュールな世界を切り取れたと自負しているものもあります。

 これらのスレッドは、変なものを探そうとするうちに発見した、偶然の産物です。しかし、偶然にせよ、そういったものを発見してしまうことを才能だとするのなら、確かに僕には才能があるとしか言えません。他人がそれを持たないのであれば、これは誇るべき事柄と言えるかもしれません。

 最後に、僕自身が誇れると思うもの、それは「好奇心」です。端的にいえば、僕は考えるよりも行動する方を好みます。道に迷ったら止まるのではなく、歩く。そういう人間なのです。おかげで、自宅から十数分の道を三時間さ迷ったこともありますが、そういった性質は誇るべきことだと考えます。

 例えば、2ch系ブログは誰にでも容易に始めることができます。数分でURLが取得できますし、更新に必要な道具はブラウザとテキストファイルだけ。それ以外には、何一ついりません。注目されずに更新したくないという方は、うちのサイトは今現在でも参加者を募集しております。

 また、ニュースサイトを運営するには巡回の労力や観察眼が必要とされます。テキストサイトには文章力や独創性が求められるものです。それらのものが、2ch系ブログには一切必要ありません。2ch系ブログに必要なのは、地味なマウス操作と長時間のコピー&ペーストに耐える根気だけなのです。

 やってみれば、いつでもできる。しかも、ほとんどの2ch系ブログのアクセス数は高いレベルにあります。しかし、2ch系ブログは思っているほど数がありません。それは単純に、やってみる人が少ないからです。できることと、やることは違う。その当たり前の結果が、2ch系ブログの数に表れているのです。

 僕は、やりたいと思いました。そして、やりました。この二つの直結が、僕自身の誇れることです。
正直自分自身コンプレックスを抱くところが多すぎて困っています。
最初から訳わからない告白しても仕方がないですね。

人間欠点がない人なんていません。
そして僕もそうです。
ただ、僕は人より欠点が多いなぁと思ってしまうことが多々あります。
容姿にしろ思考回路の短絡さにしろ挙げたら色々出てくると思います。

しかし、欠点があれば必ず美点もあります。
僕なりに考えた美点ですが、あそこまでブログを長続きさせられたことが誇りなんだろうなぁと思っています。
2年前に始めたブログですが、身内の不幸があって1日お休みした時以外何かしら日記を書いています。
継続は力なりとよく言いますが、僕はブログがそれに当てはまっているのであろう。
本来飽きっぽい&若干性根がひねくれてるんですが、立派に続けています。
あんまり自分から「僕はこういうところが凄いんだ」というような発言はしませんが、
このことあたりは自分をほめてもいいかなと思っております。


最初誇れるところなんて僕にはありはしないと思っていた。
だったら誇れるところを作ればいい。
それは今からでも全然遅くはない行動だ。
僕以外にも同じようなことを思っている人はいると思う。
自分探しの旅は冒険だ。
冒険を怖がっていては始まらない。
前を向いて歩こう。
第14回のお題は、「あなたが誇れるところ」です。
誇れるところ?
つまり…


自慢しろってことですか!?

無理です!(キッパリ
だってそうじゃないですか。自慢を堂々と書くなんてこと普通出来ませんよ。
って前回と同じでまた終わりそうになってしまいました。

じゃあ、あれですね。私の体質について話しましょう。
あ!いっておきますけど、これは嫌味ではないですよ。

皆さんは、1日ご飯をどれくらい食べますか?
好きなだけ食べますか?お金がないのでケチって減らしますか?太るのが気になって制限しますか?
私も金欠の時は、食事を減らして我慢していました。
中学生の時など、MTGのカード1パック買うのに毎回昼食抜きに…ってそれはどうでもいいんです。
問題は、太るから食事を制限するってことなんですが、


私はいくら食べても太らないんですよ

そういう体質なんです。
いくら食べようが、毎晩寝る前におかしを食べようが全く太りません!
よく「羨ましい」と云われますが、私にとってはこれが自然体なんです。
まあもっとも、ギャル曽根みたくはなりたくないですけど(;・∀・)
あ!体質で思い出しましたが、もう一つありました。
ほんと自分では当たり前だと思っている事が他の人に話すと驚かれるってことがあります。
それは…


生まれてから1度も虫歯になったことがないこと

歯医者には行った事がありますが、虫歯になった事はありません。
あと1度も歯磨き粉を使った事がありません!
全て歯ブラシのみです。
あんな何かも分からないものを口の中に入れたくはありませんよ!
どうやら虫歯にならないのも体質らしいのですが、歯周病にはなるらしいのでちゃんと歯磨きしないと
大変なことになるようです…。あと磨かないと汚いですしね。

こんな事が誇れるのかは不明です…。
私も学生時代には誇れるものがあった。
数学だ。

別にテストができるってわけじゃない。小学生の頃は国語の方が成績良かったし、中学では一度も満点取ったことがないことを今でも悔やんでいるし、高校でも1年の頃は満点じゃないことの方が多かった。でも、まわりからは数学のできる人って評価されていたし、自分でも数字だけなら絶対に負けないと思っていた。

そんな私が大学に入って最初に考えたことは、社会に出たら数学なんて誇っても仕方ない。別の誇れる何かを作り上げようってことだった。絶対に負けない武器を持った人がどれだけ強いかというのは、自分自身が一番良く知っている。だから、その武器が通用しなくなる社会に出ることが非常に怖かったのだ。

そこで私がターゲットにしたのがプログラミングだった。高校時代からプログラマになりたいって思っていたこともあり、趣味と実益が重なった感じだ。大学でプログラミングの講義は後期からだったけれど、入学してすぐに独学で勉強をはじめた。ライバルがいた方が楽しいと思って、情報系の大学に進んだ友人といつもその日に覚えたことを報告しあったりもした。今ならきっとブログに書いていただろうないけれど、当時の私はフリーソフトの公開を良くやったものだ。

そんな私が「T字型人間」という単語を知ったのは就職活動のときである。いくつかの会社説明会をまわっていた頃、理想の人材像としてこれが掲げている会社が多かったのだ。T字型人間とは、一つ長けている専門分野があり、それを軸に様々な分野に知識の広がりを持っている人のこと。確かにこんな人材ばかりいたら楽しいだろうし、素晴らしい会社になると思う。

今回のお題は「あなたが誇れるところ」。誇れるところ=誰にも負けない武器を持っている人は、強い。そして、魅力的だ。それを知ってもらうためのアピールタイムをしろということなのだろう。

さて、私の“今”の武器はなんだろう。

ネット上での私の武器はサイト論だと思っている。単に好きだから書いているし、好きだから集めている。でも、気がつけばそういう色がついていた。だから、自分の誇りにしてしまった。それで良いと思うし、誇りなんてそんなものだ。結局のところ、強くなれるくらいに自信を持てるものだったらなんでも誇って良いと思うのだ。

ネット以外での私の武器は、・・・ぜひ会って確かめてみてください。つづきはリアルで!
私は謙虚なんで誇れるところなんか無いです><
でも、これでは記事が書けない。考えてみると「記憶力」かな。

容量(メモリ)の無駄使い
記憶力といっても、何から何まで一言一句覚えてるとかありえない。全てを丸暗記してたら、ヒソカじゃないけどまさに「容量(メモリ)の無駄使い」。丸暗記しておいた方がよい事もあるけど、人間の容量には限界があるんだから、無駄使いせずに、容量にあった覚え方をしないと。

ある情報がどこにあるのか知っており、参照できればそれで十分だ。例えば、参照できるキーワードを覚えるとか。参照する機会が多い情報ならば自分の手元に置いておく。これは、本を買うとかデータベースを構築したりなど。ただ、手元に置くにしても限りがあるので、適宜図書館やウェブを使うことになる。電子データは、自身のHDDに保存する方法もあるけど、きちんと参照しやすい形で保存できないならウェブを参照した方が楽だし、これもやっぱり「容量(メモリ)の無駄使い」。
例えば、参考になるだろうなと思って買った参考書は、買ったことに満足して読まない。必要に迫られて買った参考書程使うものだ。[あとで読む]タグをつけたブックマークはいつまで経っても読まない。使うだろうと思って取っておいたダンボールの空き箱とかトイレットペーパーの芯は使わない。モノは「容量」=「場所」の無駄使い。電子データも同じ。余ほどレアなものでない限り、使うときに集めれば良い。集められる能力を養った方が後々の役にも立つってもんだ。

外部記憶装置
いずれは、攻殻機動隊のように電脳から直接外部記憶装置に参照できるようになるかもしれない。攻殻機動隊で、少佐達は聖書や文学からの引用を用いて会話するシーンがある。これは、外部記憶装置のなせる業だ。それならば我々が外部記憶装置を参照できればこなせる会話か、といえばそうでもない。外部記憶装置を参照できれば、話し手は即座に正しく引用でき、聞き手も何から引用されたのかすぐ理解できる。しかし、その引用した意図や意味までは簡単に理解できない。引用する言葉を一度自分で吟味して、自分の言葉にしておかない限り、つまりそれぞれの情報を自分自身と繋げておかない限り、少佐達のような会話はできないであろう。
外部記憶装置に参照できても、それぞれの情報を自身で相互にリンクさせておかないとやっぱり「容量の無駄使い」。そして宝の持ち腐れ。まぁこれは現状のウェブや本屋、図書館と変わりは無いわけで。電脳から直接外部記憶装置に参照できる利点は、時間でしかない。

こう考えると、私の誇れるところは「記憶力」というよりも情報収集力とか、各情報同士のネットワークを構築できる能力と言ったほうが適切か。

イメージを記憶する
ところで、私は人の顔と名前が一致しない事が多い。私は人に興味が無いんだろうか?ただ、その人のキャラクターなどは良く覚えている。名を前聞いて分からなくても、どんな雰囲気の人から聞いたら思い出したり。思い出を振り返るときも、名前よりもイメージが先行する。これは、名前じゃなくて中身に興味があるからかもしれない。

そういえば、私は「名前」に関して本当に無頓着。地名も全然覚えない。地名は覚えてないけど道順は覚えてる。地名よりも、○○がある場所って感じで覚えてるのでタクシーの運転手にはなれないぁ(笑)。また、そんな覚え方なので地図が描けない状況下で言葉のみで道案内するときに難儀する。「○○という交差点」とか「△△という通り」と言えず、「××が角にある交差点」とか言わないといけない。でも、何にも無い交差点もあるわけで。

こう考えると、かなりの部分を「イメージ」に頼っているのだなと思う。情報同士の繋がりを脳内に「イメージ」してるのだろう。ただ、「イメージ」に頼っている分だけ、誰かに説明するのがかなり難儀なんだけどね。変換が必要で、変換する際に齟齬が発生しないようにするのが大変。それこそ、地図を描かずに道案内するみたいにね。
今回は直球です。

ちょっと昔のお話。
まだブログなんて全然やってもおらず、回線は住んでた地域が田舎なのでISDNしかなかったころ。
某ネットゲームをやっておりました。まあ、始めの頃はそんなにドはまりってほどでもなく、ちまちま遊んでいたのですが、自分はゲームそのものよりも、誰かと話しているのが大好きで仕方ないタイプのレベルをあげないプレイヤーだったので、ログインしたら常に誰かとしゃべって、仕事帰りの寝る前のひと時を過ごしていました。それでも、「所詮ゲームだしなあ。」と思い、あまりそれらの人たちとは長くは続かないのかもナアとは思っていました。
しかし、気づけば数人、メッセでも会話するようになり、ほとんど全員がそのネットゲームから離れても、お互い1個人として接しあうようになりました。
そのころ、やっていたバンドが思いうる最悪な状態で解散し、相当落ち込んでいました。かといってネットゲーム三昧というのもいまいち乗らず、どうしようか悩んでいたときに、そんな友人の一人が日記を書くことを薦めてくれました。これが、自分が文を書き始めたきっかけ。

もっとも最初のうちは人に見られるなんて意識は全くなく、思ったままのことをげしげし書いていました。しかし文を書くっつうのはいいもので、混沌としていた感情がすぐにまとまり、しかもそれをネットでであった仲間たちが見てくれているということに感動を覚え始めました。次第に、どうやったら楽しんでもらえるのだろう?と試行錯誤するようになりました。
そして、今でも彼らは、自分のことを温かく見守ってくれています。

しかしそれでもまだ、なんか時々気弱な自分が顔を出し、悩むことも多かった時期がありました。サイトやっている人ならみんな通る道かもしれません。そんなタイミングで、縁あって出していただいたNHKの番組。「へ?なにごと?」という感じで、いまだに現実味がないです。
ただ、そこで秒刊SUNDAYの湯川さんに出会えたのは、今となってはとても貴重なことでした。そのうち彼とも仲良くなって、話す時間も増えたのですが、その時に「いかに楽しませるか、いかに挑戦してみるか」という精神に触れて、目からうろこでした。自分は割と保守気味な人間だったのですが、やらずに後悔するもったいなさ、今全力で挑んで人とネットを介して接すること、そして楽しむことに気づきました。田舎だからなあとか考えていた自分の視点の狭さに愕然としたものです。
それ以来、自分にはやっぱりネットでやりたいことがたくさんあって、それがうまくいかず悩むこともあったのですが、まわりでマジトークでぶつかってくれた、挙げていけばきりのない友人に出会えました。そして、がんばろう!と奮い立たされ、一歩ずつでも脚を伸ばそうとするようになりました。
それぞれバラバラの地域に住んでいるけど、最初に出会った仲間も、今熱く語り合える仲間も、またそのはるか前から仲良くしつづけている友人たちも、みんなめぐり合わせだったのかもな、となんだか不思議な気持ちです。

そんな人たちに出会えて、共に笑いながら日々楽しんでいられることが、誇りです。
1年ぶりにHUNTER×HUNTERが連載開始…
しかし、描き溜めた原稿は10週間分…

僕は辛くなって泣きながらおじいちゃんに抱きついた…

どうしたんだい?
冨樫が原稿を描かない?それは無理矢理描かせようとするからだよ。
逆に考えるんだ「原稿落としちゃってもいいさ」と考えるんだ。

泣きじゃくる僕におじいちゃんはそう言い聞かせました。
おじいちゃんの指は、萎れてゴツゴツしていたけど、その指は温かく、凄く心地がよかった…

僕は漫画が大好きなんだ。おじいちゃんと毎週To LOVEるの話で盛り上がったのはいい思い出。
20世紀少年を推理漫画と読むか否かで大ゲンカしたことあったっけな…
僕が未だ幼稚園児の頃は、一緒にスタンド使いごっこやったっけな…
四部が好きな僕の役はいつも吉良で、おじいちゃんは大好きな承太郎の役をやってたね。
花京院萌えのおばあちゃんは今でも元気だよ…

そんな私におじいさんが買ってくれた始めての漫画、
それはシグルイで、私は15歳でした。
その内容はちゅぱちゅぱぬふぅで、こんな素晴らしい漫画を読ませてもらえる私は、
きっと特別な存在なのだと感じました。

今では私がおじいさん。孫に読ませてあげるのはもちろんシグルイ。
なぜなら彼もまた特別な存在だからです。
お題の第14回は、「あなたが誇れるところ」です。

発案者は有賀(週刊少年二次元)です。

●スト様風●
あーん!MAD職人様が死んだ!
職人よいしょ本&職人F.Cつくろー!って思ってたのに…
くすん…美形薄命だ…

・゚・(ノД`)・゚・うっうっう…ひどいよお…ふえーん!!
この間「今、時代はニコニコ厨だ!」の葉書きを出してまだ2週間じゃないですか!
どーして、どーして!?あれで終わり!?嘘でしょ!?
信じられないよおっあんなジャスラックごときに殺られるなんてっ!!
割れ厨と差がありすぎるわっ!!生き還りますよね?ね?ね?
……泣いてやるぅ・゚・(ノД`)・゚・

私はあのおそろしくMAD職人様が(たとえ低画質でもさ!ヘン!)大好きだったんですよっ!!
職人さまあっ!死んじゃ嫌だああああああっ!!
ジャスラックのカバッ!!え~ん・゚・(ノД`)・゚・

●シグルイ風●
ちゅぴっちゅぱっ
九郎右衛門が時折このような妄想にふけるのを、
見て見ぬふりをする情けがν速流剣士たちにも存在した。

うぬか 涼を殺めしはうぬか

九郎右衛門が専ブラを起動した
ν速流の必勝形である

エンコ速度、画質、共に「割れ」を凌駕する斬撃であった。
九郎右衛門…あなたが居なくなってから、虎子の間…まこと広うなり申した。

●バキ風●
  ,j;;;;;j,. ---一、 `  ―--‐、_ l;;;;;;
 {;;;;;;ゝ T辷iフ i    f'辷jァ  !i;;;;;  ネットが無くなったら死んでしまう…
  ヾ;;;ハ    ノ       .::!lリ;;r゛
   `Z;i   〈.,_..,.      ノ;;;;;;;;>  そんなふうに考えていた時期が
   ,;ぇハ、 、_,.ー-、_',.    ,f゛: Y;;f.   俺にもありました
    ~''戈ヽ   `二´    r'´:::. `!














 第1開発部 部長 ○× 太郎 殿

提出日 平成XX年 2月 1日
氏  名              印


異動願


    この度、以下のとおり異動いたしたく、
    何卒ご配慮いただけますようお願い申し上げます。


    1.所   属
    広島本社 第1開発部 開発1課
 
    2.希望異動先
    広島本社 総務部総務課

    3.異動希望時期
    平成XX年 4月 1日

    4.異動を希望する理由
    総務部総務課にて発行している社内報「今日の新聞:注目記事」の
    作成・発行業務に携わる為。

以上




これで「ニュース」続けられるぜ!

今回のテーマはインターネットがなくなったらどうなるかってことで…。
自分はインターネットを使って、各種の情報を仕入れてきているので、すげぇ困ります。以上。
ただ、これで終わりだとまずいだろうから(笑、もう少し文章を書きますのでお付き合い下さい。

自分のパソコンの使い道は仕事3:エロゲ3:ネット4って具合。
インターネットがなくてもパソコンがあるなら、エロゲするのには困らない…かと思いきや、修正ファイルを手に入れるために雑誌を買わなきゃいけない時代に戻るんですね。考えもつかないのですが。SummerDaysみたいなゲームが出たら大変すぎる。

実際問題の生活を考えると、現状1日2時間以上はインターネットを使ってブログを更新しているわけで、ネットが無くなるとその分の時間を自由な時間として使えるようになる。

1日平均3時間として1週間で21時間、1か月で約90時間の時間が浮く計算になります。
そんなに時間が増えれば、1か月に1~2つのRPGをこなせる、エロゲなら4~5本上乗せできる計算。

そう考えれば、今すぐブログの更新を止めたくもなるんですが、自分はもうこれだけは治せないと思う「感想病」。
何かにつけてやったことに対する自分の感想を何かに残さなければ気が済まない、そんな病気。
ネットで絵を見た感想、エロゲのムービーを見た感想、面白そうな情報を見た感想、ニコニコ動画などを見た感想、ゲームをプレイした感想。マンガを読んだ感想。ラノベを読んだ感想。エロゲをクリアしたあとの感想。アニメを見た感想。何かにつけて感想感想…。

自分の周りの友人は忙しくて中々時間がとれない。
けど、ブログで書いてしまえば何かしら感想を書いて発散できる。
それに対して何らかの反応がある→さらに感想書きたくなる
そのアンチスパイラルのおかげで、このオタクな界隈に生き残れて、ブログを更新できていると思っている。

要するに、です。
現状、自分の仕事仲間にはゲーム・アニメ趣味の人はいない。

友人は忙しくて会えても数か月に一度。

少なくとも現状のように流行についていこうとする努力は確実に止める。

脱オタ! …できるんじゃね?



嘘だっ!!



ひぃぃぃっ!!??(;゚ロ゚)


ま、実際には暇があればゲームかアニメをやらんと落ち着かない性分ではあるんで、流行に流されず、誰もがつまらないといいそうなゲームを楽しんでやってたり、誰もが最低と思うアニメを毎週楽しみにしていたり。
その逆に知名度は低いけど面白いよ、なんて言われているゲームやアニメはことごとくスルーしちゃうんだろうなぁとも思う。
世の中知らずが花ってこともあるか。

自分は大学生になるまでネットに触ることのない人生を過ごしてたんで、まだネットのない生活でも戻ることはできそうかなとは思う。うちの親なんか未だにネットのことをほとんど知らないしね。
でも、自分より下の世代だったらもうネットのない生活なんて考えられないんじゃないだろうか。家庭用ゲーム機がないことなんて信じられないと自分が思うように。
今や家庭にネットがひいてるのは当り前の時代ですし。今の世代なら多感な中学・高校時代をネット漬けで過ごしたなんて人もいるのかもしれない。
そんな世代の方々は、いったいどういう大人になっちゃうんだろうとは思うところではあるが。
あの2chな用語に囲まれて中学高校時代を過ごしたら、とか考えてしまう自分が年寄りくさくて嫌だね。

だんだんテーマとづれてきた思考になってきたのでこの辺にしておきます。
まとまりのない文章ですが、今回は雑感をつれづれと考えて書いてみました。結局、うまくまとまってはいないのが今回の反省点。
 六つ目の素数、記念すべきりんふら十三回目のお題は、カラスさんから「インターネットが無くなるとき」だそうです。おそらく、小説形式は別の方が書くことでしょうし、面白いネタも思いつきません。そういうわけなので、ごく真面目に四つの観点で書いてみることにします。それは個人的なメリットとデメリット、社会的なメリットとデメリットの四つです。

 まず、個人的なメリットは、自由になる時間が増えるということです。りんふらの他のメンバーのほとんどはニュースサイトの方々です。彼らは毎日膨大な量の記事を読んで、それをリンクしております。それに比べれば、管理人としての僕の労力は微々たるものです。僕の作業は、週に二回ほど2chのスレッドをまとめるだけなのですから。

 しかし、一つのスレッドをまとめるのに、実は最低でも二時間はかかっています。どれだけ急いでも、むしろ急げば急ぐほど時間はかかります。レスを選ぶのに迷うスレッドの場合、一つのレスを載せたり消したり繰り返すこともあります。途中までまとめて、放棄してしまうことも珍しくありません。そんなことをやっていると、三時間でも四時間でもかかってしまうものです。

 全てが順調に行く日もあれば、ずるずると長引いてしまう日もありますが、おそらく平均して週に六時間くらいは使っているでしょう。これに4をかけて、月を単位に考えてみますと、ちょうど一日分になる計算です。もし、インターネットがなくなったとすると、月に一日休暇が増えるということなのです。

 次に、個人的なデメリットですが、それは基礎的な情報にかかるコストが跳ね上がるということです。インターネットがある現在でも、深い洞察や詳しい知識を得るには書籍を買うことが一番です。もちろん、インターネット上でも価値の高い情報を仕入れることは可能ですが、分散した情報を検索する手間や裏を取る時間を考えると、結果的には書籍の方が手早いものです。

 しかし、そういったお金を払ってでも手に入れたいほどの専門的な知識でなくとも、知りたいことはあるわけです。例えば、「的を得る」と「的を射る」はどっちが正しかったろうか。「犬も歩けば棒に当たる」の棒とは良いことを意味するのか、悪いことを意味するのか。ドラゴンフルーツの原産地はどこなのか。

 これらの知識は辞書を買って調べることもできますし、実際にインターネット以前はそれが主流でもありました。しかし、今では分からないことがあれば、googleを始めとする検索サイトで調べてみれば、すぐに答えを見つけることができます。たまたま自分が知らないことでも、大勢の他人が知っていることであれば、正確な答えを得ることができるわけです。

 もし、仮にインターネットがなくなってしまえば、これらの知識に対してもコストがかかるようになります。何か書き物をする際には、必ず手元に辞典や辞書を幾つも揃える。昔はそれが当たり前だったのですけど、今その生活に戻ることを想像するとぞっとしません。

 三番目の社会的なメリットとは、情報流出など不測の事態が起きた場合、その被害までもが迅速に広がってしまうことです。インターネットはデータの移動と複製を未だかつてないほど、容易にしています。指を一本動かすだけで、同一のファイルを無数に生み出すことができるのです。

 また、それらの情報は回線を通じて波及していきますから、流出した情報を回収することや削除することは事実上不可能です。例えば、ケツ毛バーガー程度の事件なら、個人の不幸と考えることも可能です。しかし、自治体の住民情報や自衛隊の配備情報の流出によってもたらされた損失はとてつもないものです。そして、もし、インターネットがなければ、これらの被害はより小さなものに留まっていた可能性が高いのです。

 最後に、社会的なデメリットは、情報を操作する主体が一部の営利企業に握られてしまうことです。電波を使って映像や音声を流すことは法律により禁止されていますし、新聞や出版物などを流通させることにも許可がいります。特に、テレビ局は事実上の寡占状態にあるわけです。

 これらは公共の器とは言われていますが、紛れもない営利企業です。彼らが自身の不利になるような情報を流すことは滅多にありません。例えば、インターネット以前には報道被害という単語はほとんど聞かれていませんでした。インターネットが登場し、誰もが情報を発信できるようになって、初めて報道によって被害を被る人間がいることがはっきりしたのです。こういった情報は一部の営利企業が情報の流通を握っている限り、決して表沙汰にはならないことでしょう。

 これらのメリットとデメリットを比べた場合、どちらがより大きくなるのか、僕には分かりません。おそらく、大局的に判断できるのは天上にいるものだけでしょう。ごく個人的には、デメリットもありますが、現在の状況を気に入っています。時間は削られていますし、誤操作で膨大な税金がつぎ込まれることもありますが、結構楽しいですよね。
■ケース1:世界中でインターネットが消えたとき。
やばい。

■ケース2:自分のみがインターネットが消えたとき。
暇。


これじゃ意味不明なので書き直し。


まずケース1。
これは上の一言で伝わると思うんですよ。
何せ世界中のネットワークが使えないということは、
今の世界ネットがないと何も出来ない人や会社なんていうのはザラにあるでしょう。
このことを考えると、原始時代的な場所に逆戻りするのとほぼ同じですよ。

そのような意味も込めて「やばい」の一言で済むと僕は考えます。


つぎにケース2。
実はこれ1~2週間くらい前に2日くらいだけど体験しました。
何故かというと内臓HDDが逝かれたから。PC使えなくて嘆いてました。
そのときはまだ一応学生の身分ということもあってか、
最初に思いついたことが「家のPCでレポート書けない!」という至極まともな発想でよかった。
ただニュースサイトをやってる身分としては「更新できない!」が後に来てしまったのはどうかなと思うが。

ということで使えなかった日々のことを考えると別に生きていけないわけではありません。
ただし、ネットが使えない…というか無くなることを考えると、
僕の中でのPC使用率がかなり低くなるため、はっきり言って別の目的を見つけないとかなり暇です。
実際やることが本当になくなったため、近くの本屋でぶらぶらしたり、
自発的にほとんどしない勉強までしてました。
あ、上の発言学生の身分としては最悪の発言ですね。

つまり言いたいことは、一個人がネットが使えないときは「暇」になる。
ただし、これは今現在の僕の場合に限るので他の人にいたってはそうではないと思います。


以上のことを考えるとネットが消えると、
その規模が大きくなるにつれて事の重大さが酷くなることが予想されます。
このことはあんまり想像したくないです。
しかし、ネットが消えるということは絶対あり得ないと言い切れることでもないです。

ネットが消えるという事の重大さは最悪のケースと考えていいでしょう。
それを加味すると何らかの対策を考慮した方がいいと僕は思います。
今回のお題は、「インターネットが無くなるとき」です。

(゜д゜)?
ネットがなくなる?

生きていけません!

BADEND

というのは早合点なのでどれだけ自分がネットに浸っているか思い出してみます。
まず朝起きてPCのスイッチを入れます。
(昔は24時間フル稼働でした。)
IRCに入り挨拶もそこそこに、まずは自分のサイトとかをチェック。
午前中は、特集記事のサイト更新をします。

お昼…
コンビニでテキトーにお昼を買ってきます。
それでニコニコやアニメ等を見つつ昼食をとります。(ここでもやはりPC)

午後…
一応webデザイナーの学校通っている(この原稿書いている日は卒業の日ですが)ので、
webサイト作成関連をかちゃかちゃとやっています。
というわけで、ネットがなくなったら


就職できません!

これは死活問題です(´Д`)
体力がない私に接客業や肉体労働なんて無理です!

夕方…夕飯を作ります!
レシピはネット等で検索しそれをコピペして携帯に転送します。
ここでもネットは貴重は存在です。

夜…ニュースサイトを更新します。
勿論ネットがないとなにもできません。

というわけで、私自身はネットがないと生きていけない人間なのですが、
数年前はネットがまだあまり普及していなかった事を考えるとネットの需要は凄いということがわかります。
そしてネット回線は渋滞となり、↓のような事態にもなりつつあるのです…。

ネットのヘビーユーザーへの追加課金が現実味を帯びてきました


ネットを全く使わなかったら、今頃何をしているんだろう…
そう考えると本当にどうなっていたか分かりませんね。
まあ多分…

エロゲー三昧の日々

になっていたに違いない!
「インターネットが無くなるとき」というお題もらったんですよ。
いろいろ考えてみたんですけど、どう考えてもインターネットが無くなることなんて無いんです。

まず、wikiで調べてみまたら、「インターネット(Internet)とはインターネットプロトコル(Internet Protocol)技術を利用して相互接続されたコンピュータ・ネットワークのうち、インターネット・プロトコルによるネットワークを相互接続して構築されたネットワークを指す語である。」とのことです。ますます、無くなるなんてありえないと思うのです。

考えてもみてくださいよ。

まず、物理的になくなるってことが無いじゃないですか。例え戦争が始まって核爆弾が落ち、海底にある回線がすべておじゃんになったって、無くなるものじゃないんです。だいたい、インターネットって物理的なものじゃないし。

論理的になくなるってことも無いですよ。刀狩令じゃないけれど、インターネット禁止法案ができたってインターネットが無くなるわけではないし、地動説のように間違っているわけではないので否定されることはない。

あとはインターネットが次世代の何かに取って代わるってことも考えられません。スタンダードになったものが消えたと言うと「ポケベル」を思い出すのですが、ポケベルがケータイに変わったのは電話回線という同じインフラの上で使うアプリケーションが変わったというわけで、インフラ自体は(ほとんど)変わってません。例え電話回線がなくなったとしても、インターネットにとって電話回線は手段の一つであり、光回線、衛星回線、無線、電脳メガネなど乗せるインフラさえ選びません。また、そのシンプルさゆえに代替手段が出てくるとは(今の私のレベルでは)全く思い浮かばないのです。

インターネットを無くせるって人がいたら、やってみて下さいよ。
インターネットを無くすことなんて不可能なんです!!
私のようなひきこもりだって、こうしてインターネットしてますかr

プッツン!





ははははは・・・。

電気代が落ちるだけのお金が口座になかったんだっけ。

インターネットが無くなっちゃったよ。

たまには外に出て、働いてこようかな。
「光ファイバの石英ガラスが融けてしまう温度……」

◆世界的に、「インターネットが無くなるとき」を夢想する
一番手っ取り早いのは人類が滅亡あるいは、現在の科学技術を存続できない状態になることだろうか。この条件以外では、インターネットのプロトコルが存続できなくなった時。例えば、ターミネーターのようスカイネットのようにインターネット自体が有機的なつながりを持ちすぎて、自我が発生してしまい、人間の制御下に置けなくなった。あるいは、壊滅的なコンピュータウィルスの登場。ネットに接続すると即座に感染する。接続する端末同士が互いに干渉し中心が存在しないが故に、駆逐できないとか。
上記の例は少しSFめいているかもしれない。「インターネットが無くなるとき」を考えるに、現実めいているのは「思想統制」ではなかろうか。事実、一部国歌では思想統制により本当の意味での「インターネット」が存在しない。日本だって、昨今のネットを規制する可能性のある法案などをみるに、今後どうなるか分からないのだ。

◆思想統制をテーマとした、三つの作品
ジョージ・オーウェルによる小説である 1984年 は思想・言語・結婚などあらゆる市民生が統制され、さらにテレスクリーンという双方向テレビにより生活の全てが監視される世界をテーマにした作品である。

レイ・ブラッドベリによる、華氏451度 は本の所持が禁止された近未来で、焚書に従事する「ファイアマン」の物語。「海の貝」呼ばれる補聴器型ラジオから常に流れる音楽、大型テレビから常に垂れ流される娯楽により、人は本を読まなくても楽しめる世界の物語。

映画 リベリオン は、1984年のように感情さえも統制され、華氏451度の主人公と同じく「感情的なコンテンツ」所持する者や「感情抑制剤」を飲まない者を処分に従事する物語だ。リベリオンはガン=カタを元にアクションが有名だが、そのストーリーも捨てがたい。

これらの、三つの作品に共通しているのは「自ら考えること」が禁止、あるいは抑制されている点だ。1984年では、ファシズム的に、あるいは社会主義的に監視、洗脳する事で「自ら考えること」が抑制されている。リベリオンは1984年より遥かに上を行き、薬により感情すらも抑制されている。共に、その抑制された国の中では大きな問題は起きず、一見平和である。
華氏451度は他の二つの作品と大きく異なる。なぜならば、本以外は禁止されているわけではないということ。人々は絶えず「海の貝」や大型テレビ、テーマパークにより常に娯楽が提供されている。エンターテイメントは垂れ流され、人々は何も考える必要がない。何も考えなければ、不安や恐怖は生まれない。このような受動的な世界で「本」が禁止される理由は、能動的に「本」を読むことで「自ら考え、人の考えに耳を傾ける」ことを規制したいから。「自ら考える」と、不安や恐怖を覚え、そこから不平や不満が生じるため、偽りの平和を保つために「本」が規制されるのだろう。

◆「自ら考えること」を抑制される世界
上記三作品の中でもっとも可能性があるのは、華氏451度ではなかろうか?1984年やリベリオンはあまりにも規制されすぎた世界だ。それに比べ、華氏451度において「本」は規制されているが、人々は常に与え続けられる「娯楽」により一見すると楽しそうだ。しかも、この構図は現代とそう変わらない。テレビから24時間垂れ流される番組。シリコンプレイヤのイヤホンから流れる音楽。携帯電話で無料でプレイできるゲームたち。本にしても、もてはやされるのは何も考えずに読め、売れれば勝ちなベストセラー的作品である。現状において華氏451度的世界を実現するなら、エンターテイメント性を重視した本を含む作品以外を規制し、さらにインターネットにおいて一般ユーザーが自らの考えを公開する方法を無くせば良い。つまり、情報が上から下にしか流れないように統制すれば良いだろう。このように規制されたインターネットは、真の意味でインターネットとは言えないだろう。そして、そのように規制され自由のないインターネットならば僕は利用しないだろう。そしてその時が「インターネットが無くなるとき」なのではないだろうか。
 今回のお題が「インターネットが無くなるとき」というもので、実際問題これは経験してるんですよね。インターネット利用を開始する前、そして開始した後で都合で使えなかった時という二つの時に。では、完全に無くなってしまうとしたらどうでしょう?

 インターネットが無かった頃は、携帯電話が無かった頃を思い出すのと同じぐらいかもしれませんが、無いのが当たり前で、無くても問題が無かった訳です。それで物事が回っていたのですから。

 何かを調べるなら、図書館へ行くとか、知ってそうな人に聞くというやり方をする訳です。しかしながら、もうそこへは戻れません。何せ、「今、インターネット利用をしており、その良さを嫌という程知っている」訳ですから。

 今、インターネットで何をやってるのか列挙してみました。

<閲覧>
・好きなサイトの閲覧
・2ch閲覧
・YouTubeやニコニコ動画閲覧

<更新>
・自サイト(ブログ)の更新

<ゲーム>
・MMORPG(引退済み)
・ハンゲ等、ちょっとしたゲームの数々

<コミュニケーション>
・mixiによるやり取り
・Twitterによるやり取り
・各種情報収集(仕事も遊びも)
・メールでのやり取り(最近ほとんど無い)
・メッセでのやり取り(滅多にしない)

 パッと思いついたモノを列挙してみましたが、単純にこれだけの事がインターネットが無くなる事で出来なくなるんですね。

 この内、一番痛いのはコミュニケーションかもしれません。閲覧・更新・ゲームについては「趣味」の領域なので、別の趣味で代替えが聞くと思うんですね。漫画や小説を読む、TVを見る、ゲームをする、勉強する……時間は幾らあっても足りない状況ですから、特に問題は無いと思っています(寂しいですが)。

 それに対してコミュニケーションは……痛いですねぇ。代替え手段が難しいのです。1対1なら、電話や手紙という手もありますが、複数人で話をしようとすると無理なんですよね。ここの代替え手段がなかなか浮かばないのですよ。メール・チャット・掲示板・メッセ……全てが無い訳です。

 インターネットが無くなる事で、複数人での同時やり取りが出来なくなり、結果として1対1のやり取りに戻ってしまいます。TV電話の仕組みが出来ればまた違うのかもしれませんが……インターネットTV電話以外の方法だとどれぐらい費用がかかるやら……現実的ではないでしょう。

 インターネットが可能になった多くの人との出会い・繋がり、それがインターネットが無くなる事でとぎれてしまう。これが一番大きいでしょう。趣味は代替えが利いても、人との繋がりは代替えが利きません。一度知ってしまって、そして戻れない、そういうものとして一番大きいのはこの人との繋がりでしょう。

 インターネットが無くなる時、私が一番思う事……それは、他の人達と「切り離された気分になる」という事でしょう。無い頃にはそれが当たり前だったのに、知ってしまった今では、それが無くなる事で代替え手段が無く、切り離された思いをするようになる……インターネットが無くなる事によって、孤独感を味わうようになるのではないか、そう思うのです。

 ∧||∧
(  ⌒ ヽ ←漏れ
 ∪  ノ
  ∪∪

終わった……完全に終わった……
なんだ、これは……悪夢か……?
著作権侵害しているからあなたを捕まえます?
そんな、俺はただ画像を見ただけだ。ダウンロードしたから逮捕だってそんな無茶な……
え?これすらもダメなのか?そんな…………
原作者はどう言っているんだ。元々作った人間の意見を聞いてくれ。
あぁ、そうか。親告罪じゃなくなったんだっけな……警察の自由か。
そういえば、この前はブログでとある政治家の批判を書いた奴がいたな。
捕まっていたな。何だか、名誉毀損だかなんだかで。
ふざけるな!と言いたいところだが、もう今の世の中では無理だ。
ネットでそういうことは言えなくなった。もちろん現実でも。
少しの娯楽を求めればこの有様だ。言いたいことも言えない。
だから、俺は黙って画像を少し見ていただけだったのに。笑いを求めて何で捕まるんだ?
政府は国民をどのくらい捕まえれば気がすむんだ……?
なんなんだ。ネットに自由は無くなったのか?
「昔が不法地帯すぎたんだ。だからこれくらいで当たり前になったのさ」
いやいや、お前何言ってんの?
……あ、いやそうか。こんなことしか言えないようになったのか……
画像掲示板や掲示板も無くなった。
ネットからどんどん娯楽は消えていって、わけがわからないものが増えていった。
気がついたときには遅かった。
自分とは関係が無い場所からの規制。何だっけ……児童ポルノ禁止法だっけか?
それを認めちゃいけなかったんだな……
出血表現とかも規制された。残虐なシーンは全て規制された。
ネット関連の事件は全てネットのせいにされた。
表現の自由なんて言葉は無くなった。
著作権についても、それぐらいならいいか。という気分だった。
それがこのザマだ。
……本当にいつの間にこんなことになったんだ。こんな世の中に誰がしたんだ。

あー外がうるせーなぁ……あぁ警察が来たのか。終わったんだな。俺。




※あくまでフィクションのお話です。あくまでですけどね。
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