Lingua furanca.

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お題の第17回は、「他の管理人の現在・過去・未来を勝手に決めた上で、追悼文を書く」です。

発案者は犬(Diary of Hopeless Sinner)です。




誤解を招くかもしれないので補足説明しておきます。
実在する管理人に抵抗があるなら、実在しない管理人の追悼文にしても構いません。
つまり基本はお題の通りなんですが、知り合いを冗談でも殺してしまうことに抵抗があれば、架空の管理人を殺してもいいということです。
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 僕の出番は後の方、みなさん、お題は知っていると思いますが、おさらいしましょう。りんふら・the・sixteen、今回のお題はうぃんぐさんから「コメントとトラックバックについて」です。前置きなんですが、コメントとトラックバックはブログにしかない機能です。自然とブログ論と重なる部分もありますが、ご容赦下さい。

 ではでは、最初に、それぞれの機能を振り返ってみましょう。まず、コメントというのは、ブログに載せられたエントリに閲覧者がコメントを書き込める、という機能です。エントリの構成単位、どこからどこまでが一つのエントリか、というのは管理者が決められます。例えば、あるブログに載せられた「無断リンク・ヤンキー論争」のエントリを読んだ人は、「賛成です」や「言い過ぎじゃないですか」などを書き込むことができるのです。

 お次は、トラックバックです。トラックバックというのは、非常にコメントに近い性質を持った機能だ、と個人的には思っています。トラックバックとは、あるエントリに対して別のエントリへのリンクを張らせる、という機能です。リンクを張らされる方は基本的にトラックバックを止めることはありません。システム的には可能ですが、送られたトラックバックは受け止めることが慣習化しています。例えば、あるブログに載せられた「ニコニコ動画の著作権侵害」のエントリを読んだ人は、「ごもっとも」や「いや、それはおかしい」などのエントリを自分のブログに載せ、トラックバックを送ります。すると、最初のニコニコ動画のエントリから自分の感想エントリに対してリンクを張らせることができるわけです。

 コメントとトラックバックが達成する結果はよく似ていますが、両者を比べた場合、どちらにもメリットとデメリットがあります。まず、コメントのメリットは、閲覧者が気軽に書き込める点です。トラックバックはブログからブログに対する機能ですから、書き込みたい人間がブログを持っていなければいけません。誰もがブログを運営しているわけではないですし、書き込みたい感想と普段ブログに書いている内容の方向性が違うと書き辛いということもあります。

 逆に、コメントではあまりに長い文章や主張の激しい文章は敬遠される傾向にあります。幾ら感想を書き込めるとはいえ、そこは自分とは別の方が管理するスペースです。分量の多い文章は相手を困らせてしまいますし、元々の文章とは主旨の違いすぎる文章も嫌がられます。そういった場合は、自分自身のブログに書き込んで、相手にトラックバックを送って、「私はこう考えましたよ」と伝える方が無難です。

 こうしてみると、コメントやトラックバックは使い分けすることによって、相互補完的な働きをして、とても良い結果を生み出すように思えます。これは理論上は確かにそうなのですが、実際にブログを運営してみたり、二つの機能を使ってみると、必ずしも良いことばかりの機能ではないことが分かります。

 例えば、「真性引き篭もり/entry:Twitterの素晴らしさはBlogから合法的にコメント欄を取り除いたという一点に尽きる。」という記事があります。コメントやトラックバックという機能は、本来は管理者だけのものであるスペースに対して閲覧者が介入できてしまう。Twitterは管理者のスペースを守ることができるので、人気がある。大まかに要約しますと、以上のようになります。

 僕はこの論理がTwitter流行の理由を説明できているとは思わないのですが、コメントやトラックバックに対する意見には納得しています。本来管理者とそのスペースは一対一の関係であり、管理者の意思のみがスペースに反映されていました。

 端的にいえば、サイト運営者はエゴイストなのです。その程度には大小ありますが、どんな管理人も必ずエゴイストな側面を持っています。ですから、無料で借りたスペースといえども、そこに自分の認めないデータは置きたくないのです。

 コメントという機能は、閲覧者の感想を管理人に届ける手段としては優れています。しかし、誰とも知らない人間の感想を、自分のサイト内に置けてしまうことを、全面的に肯定できる管理人はそう多くないでしょう。

 また、あるサイトから別のサイトにリンクを張るという行為には、責任が生じます。例えば、僕がDiary of Hopeless Sinnerからブラクラサイトにリンクを張った場合、僕には閲覧者のパソコンを危険に晒した責任があります。

 しかし、トラックバックは管理者以外の人間が勝手にリンクを張らせることができます。例えば、閲覧者が勝手にブラクラブログへリンクを張ることができてしまうのです。管理者の預かり知らぬところで、勝手に責任を伴うような行為をされているわけです。

 ただし、無条件に外部のデータを置けてしまうことは、やはりデメリットだけでもないのです。「「404 Not Found」と、弔辞としてのSBM」という記事があります。ネット上では、更新停止と死は非常に近いものです。それは事実としての死ではなく、我々が観測できるデータがなくなったことをもっての死です。Social Book Markを使えば、そういった「死」んだサイトに対して、コメントを書き加えることができる、というのが大まかな要約です。

 文章量の都合上、SBMの説明は省略します。ただ、これと同じことが、コメントやトラックバックにも言うことができます。コメントやトラックバックを使えば、「死」んだサイトに対して閲覧者が言葉を添えることができるのです。例えば、2chまとめブログでも人気のあったすべらない名無しの最後のエントリ、「すべらない名無し | 1/3247」には、1000件ものコメントが寄せられています。

 仮に、閲覧者が介入できる余地をなくしてしまっていたら、こうした現象も起きることはないでしょう。おそらく、周囲の管理人が自分のスペースにコメントを残し、それも時間と共に流れていくのみです。

 コメントやトラックバックを開放することで、無用なトラブルを引き起こすこともあります。対処に困るコメントやスパムトラックバックもしばしばあります。それでも、コメントやトラックバックは管理者と閲覧者、時には閲覧者同士の交流を生み、そこから生まれる新しい何かがきっとあるでしょう。
僕は読めないと自負しております。(挨拶


さて、コメントでまず最初に重要となっていくのはコメントする「勇気」だと思います。
モジモジしてると結局書かないままで終わってしまう可能性が高そうなので。

あともう一つ重要となってくるものが「空気を読むこと」…つまり雰囲気だと思います。
コメントというのは例外を除きあれば嬉しいものです。
少なくともコメントしてくれるというのは、
何処か一部分でも読んでくれているというのが目に見える行為の表れだからでしょう。

んで、ここで例外となってくるのがスパムと空気を読めてないコメント。
まぁ空気を読めてないコメントの一部にスパムが入ってくるためスパムの事は考えないことにします。
で、空気を読めるか読めないかは、こればっかりは人がどう判断するかで大分変わってきます。
僕の場合でいうと、昔は自分が興味ある分野のブログを見つけては、
興味を引いてもらおうと躍起になってコメントを残しにいってたものです。

ただ今考えるとそれは物凄く空気を読めていない行為だなーと思うわけです。
これは僕が今も昔も変わっていないため改善しないといけないことなんですが、
コメントする場合は大抵自分が経験したことを踏まえて、それを綴ることが多いのですよね。
だから管理人さんがコメント主に対して好意を持っているのであればまた変わってくるわけですけども、
基本的に僕のようなコメントの付け方は初めてみた人からすれば、
スパムと意味合い的には何ら変わりはないと思うのです。

コメント一つでその記事…果てはブログ本体の匙加減が変わってくると考えると、
慎重に考えなければいけない行為でもある。それがコメントだと思っています。
考えすぎではないのか? というのもありますが、考えることに越したことはないと思います。
なので「勇気」を持ちなおかつ「空気を読み」コメントするということが、
結構敷居が高い行為だな
というのが改めてわかると思います。

まぁ僕の考えでわかってくれるのかは知りませんが。


今回トラックバックに関しては書かずコメントのみについて考えました。
ブログ持ちなのにトラックバックは殆どつかったことないので。
まぁ、はてなの自動トラックバックは別だけど。
あれは便利ですよ。自分のところを情報元としてくれたはてなのニュースサイターなら一発でわかります。
そう考えると管理人の考え一つでスパムトラバが意味のあるトラバに変わるのかなと今思います。
ブログって不思議ですよね。おわり。
コメント欄について

最近うちのサイトでも Ajax + CGI のコメント欄を設置しました。
やはりコメント欄は即座に反映されるのがいいですねぇ。
以前はweb拍手にしていたのですが、

web拍手→管理人が見る→返信を書く

という、タイムラグが発生するのであまり好きではありませんでした。
しかし、イラストサイトさんでよく見かける「次の更新がweb拍手の返信を含む」
ような形態は良い事例だと思います。
ユーザは1つの記事を見返す必要がなく、常に新しい記事を見ればいいのですから。

さてブログのコメント欄について話します。
コメント欄は、気安く書き込める事から管理人への応援メッセージや感想などを即座に伝えやすいのが特長です。
またコテハンにとっては「見てますよ」という合図にもなります。
コメント欄は管理人のモチベーションアップに貢献するユーザからのアクセスなんです。

しかし、良いことだけではありません。
悪意あるコメントや所謂「炎上」という事態をも引き起こす可能性を秘めています。
炎上はともかく、悪意あるコメントはサイトを長く運営している以上、多かれ少なかれ来ます。
こういうコメントに対して管理人の本質が問われるところです。
いかに、受け流しができるか。
本当に自分が間違っている事は素直に認められるか。
他人を巻き込まないようにできるか。

もっとも、そういうコメントは来ないに越した事はないのですがね!
ウェブ上でのコメントには3つの視点がある。

1.相手に自分の意見や感想、想いを届ける

私からアナタへ。これがいわゆる普通のコメントだろう。ここでは純粋なコメントとでも言った方が良いだろうか。電子メールで届けるコメントはこれに当てはまると思う。相手だけに届けるメッセージ。しかし、ウェブ上でのコメントでは、相手だけでなく第三者も目にするのである。

2.第三者に自分を見せるコメント

“第三者に見せる自分”に気を配ったコメント。ハンドルネームなど、ある程度個人を特定できる名前を使う人には、これを意識した発言がみられる。その中でも2つあり、自分を良く見せようという想いと、自分を悪く見られたくないという想い。特にネット上では、自分の悪い部分を隠すことができるため、理想の自分を作ろうとする人がいる。そのために、まわりからの評価を気にしすぎた発言になってしまう。

3.相手を第三者に見せるコメント

揚げ足取りと言えばすぐに通じるだろうか。これは特に匿名コメントで多く、自分の発言によって相手が他の人に低く見られるようにするものである。もちろん、その逆もあって相手を持ち上げるためのコメントをする人もいるだろう。相手の主張がまるで悪いこと/良いこと/当然であることを言っているように、第三者が相手の記事を読む際の視点を限定すようとするものだ。私は、空気を変えるコメントと呼んでいる。


自分の発するすべての言葉について、3つの視点からどう思われるのかを考える機会なんて無いだろう。むしろ、そんなことを考えていたら何も発言できなくなってしまう。しかし、この体験は一度はしてもらいたい。自分の発言がどのような影響を及ぼすのか、自分の発言によって「相手に何が伝わるのか」「自分は第三者にどう思われるのか」「自分の発言を受けた相手は第三者にどのように思われるようになるのか」を、人狼BBSを通して学んでもらいたい。

最近で言うならば、ニコニコ動画やTwitterには、空気を読み合う楽しさや空気を作っていく楽しさが全面的に出ている気がするが、本当におもしろいことは空気を第三者に変えさせることなのだ。これを味わったら、もうコミュニケーションゲームから抜け出せなくなるだろう。


さて。個人ニュースサイトでは、ニュースの紹介とともに一言コメントを書くサイトも多い。これも一つのコメントである。しかし、紹介する記事に直接書くわけでなく、自分のサイトに書くコメントであるため、書き手へのコメントよりも自分語りや自分のサイトの常連さん向けのコメントを書く事が多い(2番、3番が中心)。

しかし、それは非常にもったいないことをしていると思う。

実際、自分の記事を紹介してくれたニュースサイトのコメントは、ニュースサイトの管理人が思っている以上に読まれている(と思う)。だから、もっと書き手にアピールしても良いのではないか。これは私が公式ニュースより個人の書いたものを取り上げるサイトだから余計に思うことかもしれないけれど、やっぱりニュースサイトというものは素晴らしい記事を書いてくれた人によってサイトが成り立っているわけだし、そこに一番の感謝というべきコメントを贈りたいなって思う。

自分が興味があって紹介している記事なんだから、記事を書いた人も自分が紹介する他のニュースに興味があると思う。書き手は、コメントに喜んだとき、コメントを書いた人に興味を持つ。そこで自分のニュースサイトにも興味を持ってくれたら、すごくうれしいもん。

書き手へ向けたコメントって、記事をしっかり理解しないと検討ハズレなことを言ってしまい、逆効果になってしまうこともあるし、何より数多くのニュースを目にするニュースサイトの管理人にはそこまで読み込むのは難しいかもしれないけれど、もしかして喜んでくれるかもしれないって思うと、私はその書き手の笑顔を想像しながらコメントがんばっちゃいます。

一行のコメントにも全力を!
理想とするコメント欄
僕も ブログ=ボトルメール、という距離感。 という認識です。ブログに文章を書くのは誰に届くか分からないボトルメールを投げてる感じ。だから、記事に対するツッコミは欲しいけど、コメント欄でのツッコミは近すぎる。自分の手の届く範囲=自分のブログ内では距離をとるアウトボクサーとして立ち回りたい。直接コメント欄という距離の近いインファイトは苦手。ツッコミの完成系を考えるなら、はてなブックマークやニュースサイトの一行コメントの方が優れていると思います。ツッコミは短く的確なのが望ましい。ツッコミにツッコミを被せる事ができないという距離感も実に良い。ツッコミへのツッコミ、つまりボケの解釈へのツッコミ=ボケの解説ほど恥ずかしいものは無い。

僕が、理想とするコメント欄は、ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd2ちゃんねる実況中継 みたいに閲覧者がボケまくっているコメント欄。閲覧者がボケっぱなしなのも良いけど、僕の場合は適宜ツッコミを入れて行きたい。自身がツッコミなだけに。ブログにブクマコメなんてしなくなればいいのに で言うところの自身の記事を元に閲覧者がコミュニケーションを取る場としてのコメント欄ですね。ただ、これは記事とブログの質に依存する気がします。また、多くのブログのコメント欄は、管理人対閲覧者という場が殆どですね。閲覧者は他のコメント読んでないことが多いんです。だから、閲覧者同士でのコミュニケーションの場になり難いのだろうな。

自分語りのトラックバック
記事に対してツッコミされるならトラックバックのほうが嬉しいです。先ず、自分の記事を発端として記事を書いてくれた事が嬉しい。また、相手のフィールドなので、応答しても良いし、しなくても良いという距離感もありがたい。トラックバックはツッコミというよりも、講釈って感じですかね。ある記事の内容を自分のフィールドで解き明かし、説明し、自身の考えを披露するという意味での講釈。つまり、ある記事を基にした自分語りなんですけど。

僕も他人のブログなどにコメントすることもあります。主に、管理人に対する質問、同意、助言、軽い間違いや勘違いの指摘、あるいは論旨の補強などを行うときでしょうか。特に、勘違いや論旨の補強はそのブログ内にあった方が管理人も閲覧者にも目に付きやすいからです。
あるいは、その話題を自分のフィールド、つまり自分のブログに持ち込みたくないから。自分のフィールドに持ち込むならトラックバックして自分語りします。その話題に対して色々意見はあるんだけど、自分のブログで語りたくないのでコメント欄でその意見を表明する。はてなブックマークも自身のフィールドに持ち込みたくないけど意見は書きたいときに利用してます。ブログのコメント欄は、はてなブックマークよりも管理人やそのブログを直接閲覧している人との距離感が近い。つまり、管理人やそのブログの閲覧者に直接自身の意見を伝えたい場合はコメント欄を利用します。何だろう、仕事を家庭に持ち込みたくないって感じかな。

コメント欄とトラックバックの距離感
ブログのコメント欄は距離感近すぎ。インファイトくらいの距離感。一つ一つ捌ける量なら、一旦離れて対応する事も可能。しかし、自身の容量を超えるとボコボコです。炎上なんてまさにフルボッコですね。コメント欄が閲覧者同士の交流の場になれば良いのですが、はてなではちょっと難しいかな。
逆に、トラックバックの距離感は心地よい。一旦相手のフィールドに持ち込まれているので、ジャブで距離を測られている感じ。それなら僕も応対しやすい。できれば、インファイトよりも距離をとって相手と接したい。そんな意味でのアウトボクサー。
 今回のお題は、「コメントとトラックバックについて」という事で、過去に何度か書いているので被る面が多々あるのですが、纏め直してみようと思います。

 テキストサイトをやっていて、そこからブログサービスを利用するようになって感動したのが、記事毎にコメントとトラックバックが書ける事でした。その際にこの二つをどう使い分けようかと考えた際に、次のようになるかなと考えていました。

 コメント:書き手と読み手のやり取り
 トラックバック:書き手と書き手のやり取り

 つまり、コメントは何か書いてある文章に対して、一読者として思う事をその文章に対して書く機能であり、トラックバックは、何か書いてある文章に対して、読者でありつつも一書き手として、自分の意見を文章に纏めて自分のブログに掲載し、それを相手に伝える機能だと考えた訳ですね。

 実際に、私はそう理解していて、そのように使っている事が多いです。ただ、コメントについては、私が思う事を書く際に、やたら短文になる時は、トラックバックではなくコメントにする事もありますので、その辺りは臨機応変といった所でしょうか(笑)。基本的にコメントも好きですし、元記事の書き手にすぐに分かるというメリットがあると思っています。

 ではトラックバックはというと、上記の考え方でやっているのですが……逆にトラックバックを貰う場合、私の書いた文章をきっかけに更に別の文章が出来たりすると、元記事を書いた者として嬉しいやら悔しいやらといった気分になります(笑)。それが私の文章よりも段違いに面白いと……(笑)。でも、それが楽しいんだとも思ってるんですよね。

 サイト時代は書いたら書きっ放し……たまに掲示板やメールで感想を貰ったりしましたが、そこから更に展開してどうこうという事はほとんどありませんでした。でもブログではコメント・トラックバックの機能によって、文章単位に広がりが出てきたように思います。

 これはもう書いていて非常に嬉しい事です。何せ元は自分の文章でも、そこから広がっていく事で、その展開された文章を読んで、こちらが刺激を受けて次の文章を書く事だってある訳ですから。

 それまではそれぞれのサイトが存在し、リンクでしか繋がっていなかったのに対し、ブログが出てきた事で、文章単位のコメント・トラックバックという新しい繋がりが生まれました。サイト単位では無く、文章単位での繋がりが生まれた訳です。そういう意味では、このコメントとトラックバックは、ネットでの繋がりのあり方を変えるだけの力があったのではないかと思っています。

 積極的にコメント・トラックバックをするようにしていますが、それはそうやって色々な繋がりが出来ていく事が嬉しいからですかね。私のブログにもそうやって色々とコメントやトラックバックを頂けると、嬉しい限りです(笑)。
シマコさん




第一話「シマコさんとブログ」


ノリコ!ノリコ!ブログはじめてみたわ!


おや、ブログブームにのるんですか。


ブーム?


ま○なべかお○りとか!


いや、そんな今さら…普通につくってみただけよ。


んで、どんなブログですか?


遊んだこととか、読んだ本の乾燥とか。うん、日記みたいなものねー。


日記なら普段も書いてませんでしたっけ?日記帳に。


うん、でもせっかくなら人に見てもらうのも楽しいじゃない。なんてったって、ブログにはコメント欄があるものね!


んじゃ私がそのコメント欄を


荒らす!


そんな宣言いらない!



   


でもやっぱり、コメントほしいよねー。「シマコさんの生活楽しそうですね!」とか。うふふ。


来るかもしれないし、来ないかもしれないよ。


やっぱりそっかー。そうよね、誰が見ているか分からないものね。


んじゃコメント欄がもりあがるように・・・


私が一日50書く!


それも困る!

 

 
その2「シマコさんとコメントレス」


最近コメント欄にも人来るようになりましたね。


うん、おっかながりすぎだったわね。インターネットは怖いところとばっかり聞いていたけど、必ずしもそうでもないわよね。むしろ楽しいことも多いわ。


そりゃそうです、あのコメント全部私ですから。


そういうのまじかんべん!






まあ、うそです。


よ、よかった・・・。やめてよ心臓に悪い。


でも、シマコさん、コメントそんなに気にしてたら大変じゃないですか?


そんなことないわよ。むしろ幸せ!


なんかコメントもらうためにブログ書いてるみたいですね。


あれれ?そんなことはな!…いと思うんだけど、あれ。確かにないとさみしいわ。


ですよね。


そうなのかなー、コメントがほしくてやっているのかな。でもそれでもいいわ、楽しいもの。


コメントだけのために書いてたら疲れちゃうし、コメントもらわなかったらへこんじゃうけど、もらったらやっぱりうれしいですよね。


うん、がんばろうかな!って思っちゃうかも。文が書きたいだけならブログじゃなくてもいいわけだし、せっかくだからそういうのを楽しんでもいいわよね。


私は、ちょっと嫉妬しますけどね。


ん?なんかいった?


…な、なんでもないですよ。


あ、そう。よーしがんばろう。


んじゃ私もシマコさんのコメント欄を


耕しにいきます。


荒らしの逆!




その3「シマコさんとコメ欄へのバランス」


ノーリコー。コメントのこと米っていうわよね。


言いますね。


米とコメント欄の共通点ってなんだー?


どちらも実ったらうれしい。


正解!ノリコってエスパー!天才!


(単純だなあ。)結構充実してるみたいですね。


うん、やっぱりたまにコメントもらったら元気になるねー。毎日書いてるのよ。


んじゃ私もこれからは毎日シマコさんのブログを生暖かい目でみるね。


なんで距離おくの!






まあそんなこともあります。


ないほうがいいなあ…。


…だって、あんまり最近かまってくれないんだもん。


あ、ご、ごめん!






そっか、コメント欄は楽しいことも大変なこともあって、結局面白いんだけど、そっちをどうするかで流されすぎちゃって一番大切なこと忘れちゃってたみたいね。ごめんね。


あ、え、ううん…///


コメントをもらうのはすごく楽しいし、素晴らしいことだけど、それを気にしすぎてしまったらもったいないわよね。自分が何をしたいか、なにが大切か、それを見失ったら意味がなくなっちゃうわね。その上で、言葉をかわしあえるコメント欄を目指さないとなあ…バランスって難しい。


うん、でもコメントもらってうれしかったんですよね。


うれしい!けど…。


いつもステキなコメントくれる人とかと、仲良くしたいよね。


え?あ、・・・うん!


ブログ、これからも楽しみにしてるね。


ありがとう!


そして、ブログが有名になったら、


私が全部のコメント欄で1GET!


ナチュラルに嫌!
トラックバックとコメント欄が無いブログはなんとなく閉塞感を感じます。
交流を阻まれている感じ……読者を突っぱねていて一人でこもっているような、そんなイメージがあるのです。
たとえWEB拍手とか、メールの連絡先などが書かれていてもです。

逆に、コメント欄やトラックバックが開放されているブログについては。




何も感じません。

いや、コメント欄とトラックバックはあって当たり前といった感覚が自分の中であるので
コメント欄やトラックバックがあるといって開放感を感じるといったことはありません。

ただし、芸能人や有名人のブログとなると話は変わってきて、
コメント欄やトラックバックが無くても「あぁ、仕方無いかー」と思えるし
逆に開放されていたら、物凄い開放感を感じます。

ブログに、コメント欄とトラックバックはあって当たり前。
芸能人ブログに、コメント欄とトラックバックは無くて当たり前。
こういった先入観が私にあるから、閉塞感と開放感を感じるのだと思います。
タイトルは本文の内容とほとんど関係がありません。というかタイトルを考えるのが苦手です。多分ホントのじぶんは、あむちゃんみたいな性格なんだと思います(ぉ。
まじめにタイトルをつけるなら、「コメント・トラックバック問題~ネガティブコメントで閉鎖に追い込まれたブログの1例~」とかかな。リンクを張ってくれる人がいるならこっちのタイトルで張って下さい(笑)

改めまして、今回「コメント・トラックバックに関して」お題を提起したうぃんぐです。
自分はブログ持ちなので、ブログサイト・日記サイトという観点から問題点について提起だけしておきます。あと、ポジティブな話は次以降の方々が書いてくださることを信じて(笑)

基礎知識
まず、コメントのマナーやトラバのタイプ分類はここでは言及しなくていいかな、というか当たり前として話は進めます。そのテのことを書いているブログはたくさんあるけど、ちらっと探して見つけた以下のリンク先のような話を最低限の理解として話を進めます。

・基本的な意味とマナーについて
http://ebn.livedoor.biz/archives/8313513.html

・コメントに関して:コメントに対して神経をすり減らしつつある現状
http://jp.blogherald.com/2007/09/03/are-you-becoming-a-little-over-sensitive-over-comments/

・トラックバックに関して:トラックバックをめぐる4つの文化圏
http://www.kotono8.com/2006/01/06trackback.html



では、本題に入りましょう。
トラックバックに関しても書くつもりでしたが、主題が二つになるのはどうかと思うのでこちらは簡単に(※1)。
私が知ってるトラックバックの使い方ってほとんどアニメブログしかなかったので、いわゆる関連トラックバックしか見てこなかった。りんふらのように正しいトラックバックの使われ方をしている所があるということに感動を覚えています。自分が言う正しいというのはいわゆる「言及トラックバック」のことになるのでしょうけれど。

りんふらのトラックバックの使われ方には本気で感動しています。
自分がTbするときは関連仲間トラックバック圏の考えを利用してもいるので、そっちを否定する気はないんだけど、やっぱり言及トラックバックをきちんと行っている所を見るとつい嬉しくなってしまう。それだけ言いたかった。



んでは、次にコメントについて。ここからが私の主題。
自分は表ブログであるニュースなサイトの他にもう一つはてなダイアリーを借りて日記を書いていました。しかし、今では閉鎖しています。その理由に今回のコメント問題が理由に上がるので、それについて書いていきたいと思います。

そのコメント「ウザい」です。
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ブログ開設当初は、コメントが来ること自体嬉しいことでした。
しかしいつしか、スパムコメント削除に追われたり、理解に苦しむ困ったコメントへの対応に追われることがある。無記名のネガティブコメントやちょっとしたネガティブコメントには慣れていたつもりだった。
こっちは気にせず、クールアンドスパイシーに返せばいいだけだし。(※2)

そして、長文コメントも世論では問題になってますね。
長文を読むこと自体嫌いじゃないし、第3者から見てつまらなくても、私にとって意味があるものならば私自身は困らないのですが、次以降に書き込もうとする人がいたときに、結果的に迷惑になってしまう。次に書く人は、この長文を読まないにしても目にしてから書かなければいけないからである。
でも、長文残す人たちは、私自身には困らない長文だったので見逃していた、むしろ意味のある長文を残す人たちだったので歓迎すらしていた。

自分にとって長文より困るのが、私の文章を読まないで、言葉尻だけを捕まえて自分の書きたいことだけをコメントに書く人だった。
それもまた向こうがその気なら、こっちもいい加減にやっぱりクールアンドスパイシーに返せばいい、あとはコメントを返さないってだけではあるんだけど。


そんな平穏な日々を過ごしていたとある日、私に耐えられない事件が起きた。詳しくは書けないのでわかりづらい文章になりますが、ネガティブコメント、それをある程度ネットで知ってると思っていた相手から(コメントをやりとりしていた相手から)、直接ではないけど貰ってしまったことだった。それは、これまで私がしたことと、これからやろうとしている行動を完全に否定される文章でした。第三者から見たら些細なことかもしれないけど、直接被害者含めて、ちょっと困った事態にまで発展したので、このままにはできない問題になってしまいました。
最終的な決断としては、一度日記を閉じて、自分の日常は表沙汰には書かないことにして、コメントされることに対する閾値を上げることしかなかった。

完全にコメントを閉鎖して断絶することも考えたのですが、コミュニケーションを完全に断絶するのはとても悲しいことのような気がして、一度私が見てから、後日返事をするというパターンにすることにした。だが、コメント欄に気軽にコメントを残せる空気を無くしてしまったのは痛い。
この問題は未だに自分自身で迷っています。実際、コメントから自分の書いた文章がどのように伝わっているのかわかることもあるし、学ぶことも多いので、本当はコメントはたくさん欲しいもの…。
ニュースサイトというより、ブログで言葉遊びしてるだけなので、私の場合は、通常のコメントに関してはクールアンドスパイシーに返してはいるけど、やっぱり心の奥では嬉しかったんだよね(ツンデレ)。

それと同時に巡回している日記ブログの相手へコメントを残すことも減らした。日記サイト同士の繋がりというのは、コメントの残し合いという、これもまた特殊な慣れ合い方で面白い文化で、深くのめりこみすぎなければ楽しく適度にコメントのし合いをできる場です。
しかし、これも今回の事態を受けてかなり減らしました。仕方のないことかと理解してくれている人もいるだろうし、もう見向きもしなくなった人もいるかもしれません。


ここまで書いておいて、結局はこの同盟で起こったウザい出来事とは主旨が違うので連盟に加盟はしていません。あそこはあそこで大変な目に会ったという話は、私もこの目で見たし、本人やバナー作成者から聞いたので、ADDBのコメント欄閉鎖もまた、仕方がない措置なんだろうね、と。

一応、ウザい長文に苦しんでいる方がいたら、連盟に加盟してみては?と宣伝(笑)

といいつつ本当は、ただ単にバナーの絵が可愛いよね!ツンギレだよね!と言いたいだけなのだった。(※3)
おしまい。



(※1)お題を否定するような言い回しですが、このお題を提案したのお前自身だろ!ってツッコミは甘んじて受けましょう(笑)
(※2)クールアンドスパイシーな小学5年生になった気持ちで返すということです。
参考:http://www.youtube.com/watch?v=W6MxRZahEgA
(※3)ツンギレには、身内的にはもう一つの意味があるのですが省略(笑。
お題の第16回は、「コメントとトラックバックについて」です。

発案者はうぃんぐ(てきとうなもの)です。
「過去のLingua furanca.記事にトラックバック」がテーマということで、私が貼った先は「第一回:サイトをやって得たもの」全体に対して。

まずは、当時の記事からキーワードを振り返る。

「得たもの」に対する個人的思想 / 白球さん
「はてな」「コミュニケーション」「文章構想意欲」

そして私は新しいカクテルを作る。 / たまごまごさん
「合うか合わないかは別としても、1mgでも心に触れて、時間を費やし、足を止めてくれた人もいることを思うと心がギュっと締め付けられてくる」
好きなものを共有できる楽しみ。

寡黙なる閲覧者。雄弁なる閲覧者。親愛なる運営者。 / セミマルさん
と、ニュースサイトの閲覧者を意識しつつ、最終的に運営者通しでコミュニケーションを図り。
寡黙な閲覧者にしろ、雄弁な閲覧者にしろそのような出会いがあったことが得たもの?

サイトをやって得たものってえらい大雑把やな~byやくろ / やくろさん
サイトをやって得たものは多すぎて書ききれない

サイトをやって得たもの / ☆YAS!☆さん
「人」が一番であり全て

様々なモノを失う中で手に入れる一つのものは素晴らしい価値がある / 水瀬さん
サイトで失うものは、人によって形が違うと思うのですが「得たもの<失ったもの」だとは思うのです。

「サイトをやって得たもの」 それは貴方たちです! / lastline
アクセス数。そして閲覧者。

サイトの向こう側は宝の山 / まなめさん
私のサイトの読者が、私のサイトから何かを得てくれれば、それ幸いです

サイトを始めて得たこと / はしさん
「出会い」と「自己表現の場」

サイトをやって本当に得たいもの / テラシィさん
・広い視野  ・情報収集能力 ・ネット作法 ・文章力
サイトをやってこの企画と巡り合い、たくさんの友達が出来ました。 それだけが僕の真実。
得たものと得たいものの違い。

3年間私がサイトをやっていて得たものとは何だったのか? / ミルトさん
「知名度」「ネット仲間」




一番多い意見は、人との出会い
それはサイトを通じてインターネットでやりとりすること。または、それによって実際に人と出会うこと。私は当時参加してなかったので、記事はないですが、サイトをやって得たものと普通に聞かれれば、間違いなくこれを答えたと思う。
まなめさんに至っては出会い系みたいな一例まで挙げている。そして私がここで書くようになったのも7月に主催者である白球さんとの出会いがあったからに他ならない。

次に、自己表現とそれに対する反応
文章にしろニュースサイトに対する反応にしろ、自分が楽しいと思っていることを他の人たちと共有できた瞬間の喜びはこの上ない。これは、特に趣味が深ければ深いほど話し相手が得られたときの嬉しさは計り知れないんじゃないかな…と。

そして得たものに対して失ったものがあるという話。
一番わかりやすいのは時間。自分だって、夜12時ころに毎日更新するようになってから、その時間は確実に拘束される。そして人付き合い。今のところ、夜の時間を確実に空けるための努力を欠かさないので、現実の方々と飲み会に誘われても、断るか可能な限り1次会で帰るなんてことをやってるから、新しい現実周りの仲の良い人なんてできるわけなく…
そう考えると、ネットを通じた人と出会う反面、リアルで出会える人たちとの可能性を失っていることになる。
ただ、この点に関しては、ネットでの出会い>現実での出会い と信じているからできることかもしれない。この不等号が逆転したときが自分のサイトそしてネットの人たちとの付き合いの終了のときだと思う。
他に失ったものは多いという、水瀬さんの意見は深いものがあって、自分もパっと思い浮かぶだけで他に、睡眠、仕事に他する真剣さ、お金、自信、とか考えれば本当に108個ありそうですよ。



細かいことを言えばもっといっぱい出てくると思うが、大まかにはこういうまとめでよいのではないかと思われる。

じゃあ、私がサイトをやって得たものは何かって?

それは忘れもしない、今の更新をするようになったきっかけ。
今は全くやってませんが、ブログを開設して間もない頃はリンクをしたら相手先に報告していたのです。
それは、自分がネットを見始めたときから憧れていた某サイト様にリンク報告をしたときの返事でのこと。

> 毎日更新してるのって本当すごいことですね。
実生活で忙しくなると色々と大変ですが、習慣づけることによって
生活の一部とすれば、更新も楽しい作業になります。
私の場合は、巡回するサイトで萌え絵を見ながら心を和ませて更新しています(笑)。
お互いにこれからも更新がんばっていきましょう~。


自分が憧れていたサイトにお返事を頂いて、しかもこのような温かいお言葉を頂いた。

単なるネット上のやりとりとはいえ、これも一種の人との出会い。
相手にすれば定型的な返事だったのかもしれない。
深く考えて出した返事ではなく、何気なく書いたことなのかもしれない。

でもこの一言こそが、ブログに対する私の姿勢を変え、今も変わらず更新し続ける原動力になっています。自分としては、これ以上に得た言葉はないといえるのかもしれません。

そう、自分が得た一番のものは「憧れの人から暖かい言葉を頂いたこと」が一番大きいのです。そして今日も私は萌え絵に癒されながら、イラストサイトを巡回し、自ブログを更新するのだった(笑)
 りんふら15回目のお題は、アシタノさんから「過去のLingua furanca.記事にトラックバック」とのことです。個人的には、このお題には「次元の混乱」と名付けたい感じです。死んだはずの猫族が闇に飲まれていたり、吸血鬼として滅んだはずの男が正義の使者になっていたりするのです。

 僕がトラックバックしたい記事は、第5回「新しい法律を一つ作ってください」でまなめさんが書いた「企業ブロガーの誕生」です。このエントリを選んだ理由は、まなめさんのアイディアに夢を感じたからです。

 例えば、エジソンが電球を実用化した時、ライト兄弟が飛行機の滞空時間を伸ばした時、平賀源内がエレキテルを発見した時、そこには夢があったのだと思います。ただ、闇雲に模索するのではなく、それが生まれることによって、世界が変わると期待していたはずです。

 僕は企業ブロガーというアイディアに、同じような期待を持ちました。それが実現することで、世界の何かが変わるのではないかと思うのです。僕にはそれを実現するだけの能力はありませんが、実現したらどうなるかを想像することはできます。

 まず、企業ブログが義務付けられた場合、ほとんどの企業は広報の一人を当て、管理・運営を任せることでしょう。ただ、大きな企業ともなれば、有名な人間を雇い、ブログを任せようという気運も高まるはずです。

 例えば、現在ではlivedoorやfc2、はてなやgooなど、ブログサービスを提供している企業が、自らのブログサービスに有名人を招致しています。それによって、知名度を挙げ、参加者を増やし、プレビューを増やし、広告収入を増やそうとしているのです。

 企業ブログも概ね同じようなことを考え、著名な人間にブログを依頼するでしょう。ただし、テレビにしろ、新聞や小説で名を成したにしろ、それらの経験が必ずしもウェブに役立つとは限りません。既存のメディアは一方通行であるのに対して、ウェブは双方向のものだからです。

 これまでのものと違う、双方向のメディアとは著者と読者、演技者と視聴者の違いがほとんどないのです。もちろん、権威や権力といったものはウェブにもありますが、それは彼に対する信頼が強いというだけの話なのです。

 端的に書けば、信頼以外のない世界では、ちょっとした言動や行動が即座に炎上などの現象に繋がります。これを回避するには、明文化しにくい勘所というものを押さえていなければいけないのです。それを知らなければ、未然に防ぐことも起きてしまったことに対処することもできません。

 こういった事態を回避するために、おそらく既存の有名ブロガーの一部は企業に誘われることになるでしょう。直接にブログを運営することもあるでしょうし、そういった勘所の指導をしたり、事態の収拾を任されるようにもなるでしょう。

 それは文章力や対応力のあるブロガーは既存のメディアに取り込まれるということでもありますし、ウェブの一部であるブロガーが社会的な地位を占めるということでもあります。それを良く思わない方もいるでしょうけれど、可能性はより広がることになるでしょう。

 可能性とは、職業的にブログに携わる人間の登場です。既存のメディアで芸能人が重用される一因は、彼らがテレビや演劇に人生をかけているからです。それ以外の安定的な生活を捨てて、芸能という世界に生きるからこそ、彼らは活躍するのです。

 ブログによって生きていくことができるのなら、少数ではありますが、ブログに人生をかける人間が出てくるはずです。彼らが為しえることは、趣味として片手間に運営を行っている僕のような人間を遥かに飛び越えるでしょう。

 ブログによって生計を立てることは、現在でも不可能ではありません。アフィリエイトやアドセンスなど、広告収入を得ることはできます。日に五千円も稼げれば何とか生きてはいけますから、それほど高いハードルではないのかもしれません。

 しかし、広告という手段による収入は非常に不安定です。それは質の高い記事をアップし続け、人を集めます。広告を見て商品を実際に買う人間が一定の割合いるとし、その母数を増やすという手法なのです。これでは副収入としては魅力的かもしれませんが、とてもメインに行う商売とは言えません。

 また、アフィリエイトのようにネットに金銭を持ち込む手法は現在好まれていませんが、企業ブロガーという発想が定着すれば状況は変わるかもしれません。ブログを運営することで対価を得るという流れが一般化することで、副次的にもウェブの可能性を押し広げる効果はあるでしょう。

 ただし、ブロガーという存在が社会的に認知される傾向が強まれば、同時に合法的であれとする圧力はより高まるでしょう。現在はエミュレータにしろ、動画共有にしろ、それほど本格的な取り組みはなされていません。対処の仕様がないという現実と共に、グレーでも構わないという空気があるからです。

 おそらく、企業ブロガーなどによってネットが社会に取り込まれる度合いが強くなれば、現在ブラックである部分ばかりかグレーである部分に対する圧力も一層強くなります。それは何もかもがごちゃ混ぜになっている現在の状況の終焉をも意味することでしょう。
トラックバックって正直あんまり活用した事がなかったりする。
ブログ持ちな癖にろくに把握してないのは問題があるのかないのか。

ということで記事じゃなくてタイトルにトラバすることにした。
でも何に反応しよう・・・。
と思っていて考えていたら、夏休み中に旅行とかしていた関係で書いてないお題があったのを思い出したので、
この機会を使って改めてそのお題に挑戦しようと思い立ったのである。



はい、無駄に前置きが長くなりましたが、
僕が今回トラバしたのはやくろさんが発案した「リアルとサイトについて」というお題です。

リアルをA、サイトをBとすると十分条件しか成り立ってないと思うんですよ。
これに関してはまなめさんが書いてくれてるネットとリアルの関係を見ればわかりやすいのでここでは割愛。

ただAもBも「心技体」は成立してないといけないと言えます。
リアルでは心も体も強くないと社会を勝ち抜く・・・というか生活上厳しいものがあるし、
また人間というのはコミュニケーションという技術があるので、
それを駆使しないとそれこそ孤独死でもしてしまうのではないでしょうか。
まぁコミュニケーション技術はネットでもある程度必要だとは思うが。

そしてサイトもそれこそ精神的に追い詰められたらそれこそ閉鎖するということにもなりかねないし、
体力がなくなってたらPCに向かう気力もなくなるでしょう。
あと流行らせる流行らせないかは別にして一度はデザインとかのような技巧に走るはず。
僕も何度か走りました。失敗したけど。



僕は高校の剣道の授業で「心技体」という言葉を初めて意識した。
やってみたらわかるけど、剣道はどれか一つでも欠けてたら終わる戦いとも言える感じが、
授業を受けていてひしひしと伝わったんですよ。
そしてリアルやサイトも基本は同じでしょう。
ただ必ずしも必死にやることはないでしょうが。
心技体を磨くことによる向上というのはどの世界でも同じ。
僕も常時実行できるように頑張っていきたい。
ボクの名前はたかし(仮名)、高校1年生。
中学のときは友達も少なかったけれど、高校に上がって気分も一新。いっぱい友達を作って、彼女も作っちゃうぞ!

と張り切ってはみたものの、内気な性格ゆえなかなか話題に入れない。どうしたものかと悩んでいたところ、ある日の帰り道、オナチューのさとしと電車が一緒になった。
「よう、たかし。どうした?悩んでいる顔しちゃって。」
「なんださとしか。さとしは凄いよなー。高校入ってほとんど知らない顔ばかりだってのに、すぐに馴染んじゃって。話題のネタも豊富でうらやましいよ」
「はっはっは。たかしだってコツをつかめば、すぐにクラスの人気者になれるよ。そうだ!一つだけアドバイスをしてやろう。」

ボクは家に帰るとすぐに、父親の書斎においてあるパソコンを起動し、さとしに教わったアドレスを打ち込んでみた。
「へぇー、これが個人ニュースサイトかぁ。テレビや新聞と違って、おもしろい記事や役立つ情報がいっぱい載っててすごくおもしろい。これは見てるだけで楽しいかも!」

それから数週間後。
自分に合ったニュースサイトを見つけ毎日の巡回が楽しくなった頃、なにげなく耳に入ってきたクラス内の雑談にふと思ったのである。

「あれ?この話題、個人ニュースサイトで見たことがある!」


以下略。

さて、今回のお題は過去記事へトラックバック。ということでお題をもらった瞬間からこの記事しかないでしょうと思っていた記事がコレ。

今のサイトを作った理由?それは憧れです。 / はし

憧れ。

アコガレ。

AKOGARE.

あんこカレー。

憧れって、甘いような辛いような何かなんです。

だから、私もみんなに憧れてもらえるような人になれたらいいなって思うんです。

あなたの憧れるニュースサイト像って何ですか?大量のアクセス数を動かせるサイトですか?良いニュースをいつも見つけてきてくれるサイトですか?素晴らしいコメントを書くニュースサイトのことですか?全部を兼ね備えたサイトですか?

では、あなたの憧れるニュースサイト管理人像って何ですか?たくさんのインプットから素晴らしいアウトプットを出せる人でしょうか?これは素晴らしいと思えるニュースを発掘できる技術を持った人でしょうか?あるいは、自分を消して読者のために素晴らしいニュースを提供できる人でしょうか?

私は、人と人とを繋ぐことのできる人に憧れます。ニュースサイトはニュース(記事)を紹介してなんぼであって、読者は「○○というニュースサイトで紹介されてた記事」と言ったり、記事を書いた人は「○○というニュースサイトから△△ものアクセス数が」と言いますけれど、繋げてるのは書き手と読み手なんです。記事の向こう側には人がいて、アクセス数の向こう側にも人がいます。要するに、ニュースサイトの管理人は書き手と読み手の仲人なんですよ。リアルとリアルを繋ぐ電子の妖精さんなんです。出会い系サイトの管理人なのかもしれませんw

私のサイトを見てくれている方に、良いブロガーとの出会いを。
良い記事を書いた方に、良き読者との出会いを。
そんな出会いを作ってくれたニュースサイト管理人に憧れを。
Lingua furanca. のお題 第6回 は僕より、「あなたはボケ?それともツッコミ?」でした。そう僕は、Lingua furanca. ドラクエ1に教わったこと でまなめさんがおっしゃるように世界をボケとツッコミで二分したのです。「どちらでもない」は許されないのです。

Lingua furanca. なんかツッコミ多いな~ というわけで、Lingua furanca.では、二分した結果ツッコミが多いことが分かりました。
しかし、あなたはボケ?ツッコミ?どちらのタイプですか?アンケート結果 によると「ボケ」と「ツッコミ」が約20%、「どちらもいける」が35%、「どっちも無理」が10%、「分からない」が15%と全然二分できていない。これは誠に遺憾である。とりあえず、「分からない」と「どっちも無理」は「ボケ」に分類する。理由は後述。

さて、「どっちもいける」はボケかツッコミか。それを考える前に「ボケ」と「ツッコミ」の違いをおさらい。
「ボケ」は一人でも成り立つ。「ボケ」は一人で笑いが取れる。だから、常に「ボケ」が起点となる。「ボケ」は非常に能動的と言える。
一方「ツッコミ」は「ボケ」なくして成り立たない。「ボケ」があって始めて「ツッコミ」が生じえる。つまり、非常に受動的。しかし、「ツッコミ」次第では「ボケ」の色を変えることもできるし、場の雰囲気すら変えることができる。「ボケ」は場の雰囲気は作れるけど、その流れはコントロールできない。一方、「ツッコミ」は場の雰囲気は作れないけど、その流れをコントロールすることが出来る。だから、漫才には「ボケ」役と「ツッコミ」役が存在する。「ボケ」ばかりだと、明後日の方向にどんどん進む。まぁ、Wボケの笑い飯が面白いのはソコなのですが。
このように考えた場合、「どちらもいける」は「ボケ」か「ツッコミ」か。場の状況によって使い分けている場合は、場の空気を読んでいる訳だから完全に「ツッコミ」である。しかし、無自覚に「どちらでもいける」と思っているならば、場を考えていないので「ボケ」だ。比率的には「どちらでもいける」には「ボケ」か「ツッコミ」が半々いるであろう。つまり、「ボケ」か「ツッコミ」が17%ずついる可能性が高い。
「分からない」と「どっちも無理」は「ボケ」と前述したけれども、その理由は「ツッコミ」は場の雰囲気は作れないけど、その流れをコントロールする側だから。「分からない」と「どっちも無理」は、場の流れをコントロールすることが出来ないということだ。それならば、「ボケ」に分類するしかあるまい。

といわけで、めでたく あなたはボケ?ツッコミ?どちらのタイプですか?アンケート結果 は「ボケ」が約65%で「ツッコミ」が約35%と二分できた。二人の「ボケ」に対して一人の「ツッコミ」というバランスは、「ツッコミ」が分散し「ボケ」の負担が少なくなるから丁度良いのではなかろうか。僕自身が「ツッコミ」なので「ツッコミ」ばかりだと正直困ります。


竜王
「よくきた lastlineよ。 わしが おうのなかの おう りゅうおうだ。
わしは まっておった。 そなたのような わかものが あらわれることを…
もし わしの みかたになれば せかいの はんぶんを lastlineに やろう。
どうじゃ? わしの みかたに なるか?」

→はい
 いいえ

竜王
「では せかいの はんぶん ツッコミのせかいを あたえよう!
「更新スタイルを崩さない。 」
------------------

一行で物語るとか男らしすぎですよね。そんなわけで、トラックバックしてみます。
何が面白いって、1行しかないために色々な解釈ができるところ。
そんなわけで、スタイル、といってもさまざまな要素があると思うので、ちょっと分散させて考えてみようと思います。
 
1、時間的要素
おそらく白球さんが言っているのはコレだと思うのですが、個人的に一番苦手なので最初に持ってきます。
時間も2種類あって、「更新にかける時間」と「更新する時間」です。
後者はまあ、自由といえば自由ですが、「0時にはきっかり更新ボタン押すぞ」と心がけたりすると、受け手には親切かなと思います。
はて、問題は書く時間。
自分は更新時間を「考えないように」して、ただひたすらにガガガと打ち続けているため、長いときは数時間以上かかります。短いときは30分くらい。
これが非常によろしくないんだ。
長い=睡眠時間に食い込む、ということなので、とにかく夢中になって打てば打つほど体を壊します。
といっても、書きたい時に書くのが一番大事で、保留するとその時に感じた感動が薄まったりしちゃうので、なんとかそれを繋ぎ止めたいと思って書いてしまいます。これが次以降に書く部分と正反対すぎて非常にジレンマになる部分です。
 
2、書きたい事の方向性の要素
サイトをやるからには、好きで楽しいことを書くのが一番大事なのですが、やはりある程度のそのサイトの独自性や色と言ったものは意識している人のほうが多いと思います。日記っぽいのとニュースサイトと、みたいに分けて別のサイト作る人もいらっしゃいますよね。あるいは、ブログとmixiで分けたりとか。
自分は好きなものがあったら「スキだー」と書くので、方向性としてはあちこちにぶれまくってますが、それでも「好きなものを好きと書く」という方向性はほんのりあります。
そうなると、自分も根っからのオタクなわけで、一つの事に夢中になってしまうと何も見えなくなってしまうんですよ。
これが案外危険で、そうすると書き始めてしまうと時間を忘れてしまい、朝まで更新に時間を費やすなんてことも起きてしまいます。
自己満足的な安堵感は得られても、資料的なまとめができても、まず体調を壊します。寝てないもん当たり前。もう若くないもん。
このへんを1の要素とどう安定させていくかが、サイトをやる人間の最大の課題になると思うんです。
 
3、口調のスタイル
意外とこれは皆さんが持っているものだと思います。
自分は「です・ます」で統一しています。宮沢賢治が好きだからです。
中には「だ・である」の人もいますし、フランクに「だよねー、ですよねー」という人もいますし、顔文字多様AA多様型の人も。
これは試験的に色々変えてみるのも面白いのですが、統一しておいたほうがサイト管理人の人柄が見えて、読みやすいと思いました。
個人的にはハードボイルドに淡々と書ける人にあこがれます。自分ができないので。
 
4、主義主張の要素
これは無理に持たなくてもいいのですが、更新スタイルにはかかわってくる気がするので。
記事を書くときに、ある一定の形は気づかないうちに持っているもの。それがインターネットという不特定多数の人の見る場所に出るという時点で、どう考えても100人中100人が賛同することなんてありえないです。
そこで「そういう意見もあるし、こういう意見もある」と受け取って、次の話題を、というのが割りと自分の中での歩み方なんですが、中には断固貫き通す人もいるでしょうし、完全に自分の主義主張を消して事実のみのべる人もいると思います。
このへんがまさに「その人のスタイル」なんだろうなあと思います。どれが正しい間違いではなくて、そこが個性かなと。
もっともこのへんは、答えは自分も見えないんです。やっていくしかないよね。

------------------

もちろんスタイルなんてものは、不要といえば不要です。好きなときに好きなものを書けばいいわけです。
しかし、おそらくサイトをやっている方は「表現したいもの」「伝えたいもの」があって、それがあふれているから書くでしょう。あるいは読んでくれる人のために、また「やり続けることの意義」を感じて書いたりしているでしょう。
そうして継続していくなると、一定のあらゆるスタイルを考えることは、無駄じゃないと思うのです。色々考えるいい機会になりました。

とりあえず、色々なサイトを見たり書いたりして、日々勉強することだらけなのですが、体壊しちゃ意味ないよね。
一日が48時間あればいいのに!
…あれ?(いずれにしても割合は変わらないことに気づいた様子)
~まず、裏話~
今だから、言えますが。
私がお題を出した第13回『インターネットが無くなるとき』は……本来は上記タイトルの『インターネットが使えなくなるとき』だったのですよ。

お題を決めるときに、ちょうど私がインターネット使えなくなりそうだったので、嫌がらせというかむしゃくしゃした気持ちで、このお題に決めたのですが(こっからすでに無茶苦茶)

一度、白球さんにお題を言った後、白球さんがお題の内容を忘れるというハプニング発生。
このとき、ちょっと考えて『インターネットが使えなくなるとき』よりも『インターネットが無くなるとき』のほうがお題として広がりがあるんじゃないかなぁ……と思って、変えました。
白球さんナイスアシスト。

ちょっとした言葉の違いですが、たぶん記事を書かれたかたにとってはこの言葉の違いは大きかったのではないかと思います。

あ、この記事の内容はあれですよ。lastlineさんのパクリです。


~記事紹介~
近未来

私が書いた記事です。
結構悩んで悩んで、独白という形をとりました。
内容は、ダウンロード違法化とか、著作権問題とか、言いたいことも言えない世の中とか。そんな感じです。
最近では、ニコニコ動画とかで大規模なダウンロード違法化反対運動が起こりました。
このまま、ネット界全体にこの運動が広がってくれればいいなぁーと思っています。ニコニコ動画での問題提起を見ていたら、やはり知らなかったという人も大勢いらっしゃったようですし。一人でも知らない人が少なくなって、それは大問題なんじゃねーの?と疑問に思う人が増えればいいなぁ。
今のままではそりゃ問題とかはあるけど、だからってそれを規制しちゃったら楽しみも何もありゃしないと思うんですよ。
ちなみに、上の記事を書くにあたって有川治先生の図書館戦争シリーズの影響を受けに受けまくっちゃっています。

~関連リンク~
ダウンロード違法化、著作権非親告罪化についてのまとめ

MIAU
↑とりあえず、ダウンロード違法化反対って人は、パブリックコメントを送っちゃえばいいと思いますよ。


もしも、いんたーねっとがこのせかいからなくなったら

書いた人。
ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWSのセミマルさん

いんたーねっとがなくなるとじさつしゃたいりょうはっせいでこのよのなか\(^0^)/おわた

切り離された気分になる

書いた人
それさえもおそらくは平凡な日々の☆YAS☆さん

とある人が言っていたのですが。
「僕は今の人達がとても羨ましいよ。だって、インターネットがあるからね。僕が小さいころには無かった。だけど、今は違う。インターネットがあることによって得ることができるつながりはあるでしょう。特に、違う年齢の人・全く違う地方の人と付き合えるというのは凄いよね。そして、そんな人と話すことによって得られることもいっぱいあるよね。僕の小さなときはそんなことできなかった。だから、羨ましいんだ」

この発言自体、ネットで知り合った違う世代・違う地域の人からもらった言葉だったりします。
つながりが消えるってのは、ただそれだけってことじゃないんですよね。つながりがあるからこそ生まれるであろう思い出やら体験やら言葉といった可能性が全部消えてしまう。
これは代替えできないでしょうねぇ……つくづく私はインターネットの生活に生きているんだなと感じました。

華氏二七三二度

書いた人
最終防衛ライン2のlastlineさん

最初見たとき、タイトルの意味がわかりませんでした!
恥ずかしながら、マイケル・ムーアの華氏911かと……

lastlineさんは私と同じような考え方だったようですね。
個人が使えなくなる以外だったら世界全体が終わるか、個人が使わなくなるようになる。インターネットが無くなるときってこれぐらいだと思うんですよ。
争いが無い世界。平和な世界。だけど、考えが無い世界。
一見平和そうに見える分、そこにはらんだ狂気も……そんな世界になってしまったら……嫌だなぁ。本能的にそう感じます。

インターネットが無くなるわけねーよ

書いた人
まなめはうすのまなめさん

やったー!誰かが書いてくれるだろうと思っていたお題の否定。
実は、タイトルをインターネットが無くなるときに変えたのはいいものの、そんなことあるわきゃーねーよなーと最初考えちゃったんです。自分からお題出したのにも関わらず。
そうなんですよ。インターネットが無くなるわきゃーねーんです。私が言う近未来の世界にも一応インターネットはありますしね。
結局、インターネットが無くなるときっていうのは個人が使わなくなる、もしくは使えなくなるときだと思っています。

ネットがない世界なんて考えられない

書いた人
MOON CHRONICLEのミルトさん

インターネットが無くなるときは、社会が終わるときなのかもしれません。このお題、案外深かったのかもしれませんねwそんなつもりは無かったのになぁー。

実際に、ネット関連の仕事についている人は仕事が無くなってしまう。ネット関連じゃなかったとしても、仕事に支障をきたすのは想像に難くないと思われます(lastlineさんもおっしゃられましたー)インターネットはもはや、実生活からも切り離せない存在となってきつつあるのかもしれませんね。

事の重大さは最悪のケースを考えなければならない

書いた人
白い戯言の白球さん

自分レベルだったら、無くてもなんとかなるんですよね。私も、半月くらいネットから離れていた時期があるのですが、案外大丈夫でした。寂しさみたいなものは感じていましたけども。
そうそう、ネットから離れると自然に他のことをしだすんですよね。でも、それでも記事のネタを考えてしまうのはテキストサイトの宿命なんでしょうか?
全世界については、今までに上で言ってきた通り。
うん。とにかくヤバイですよねw

インターネットに関する四つの観点

書いた人
Diary of Hopeless Sinnerの犬さん

これまたとある人より
「インターネットをやめるときのメリットとデメリットって何?」

私の答え。
メリット……集中力アップ。
デメリット……日々の楽しみが無くなる。

今まで、散々たいそうなこと言っていましたが私は所詮こんなもんです。自分の楽しみが一番なんですよ。結局のところは。

社会的なデメリットで情報流出っていうのは思いつきませんでした。そういわれればそうですよねぇ。インターネットが無くなれば、そんな簡単に全世界に情報が流れるといったことは無いでしょうし。また、一度ネット上に流れて多くの人の目に触れた情報は削除することが難しいと言われていますしね。
なるほどなるほど……いや、気軽に出したお題でしたが、これで正解だったなぁ。何だか嬉しいや。

ブログを更新している私は「感想病」だと気づいた

書いた人
てきとうなもののうぃんぐさん

インターネットが無くなるときの個人的なメリットはみなさん自覚しているんだと思います。
サイト持ちの方なら、自分の時間が増えるという点があげられるでしょう。
でも、そのメリットを自覚していながらも、私はやめません。なぜなら、楽しいから。自分の中でそれをやめたいと思わないのでやめません。
そう思い続けていられていたら、楽しいと、やめたいと思わなかったらインターネットが無くなるときは無くなるのかもしれません。
また、私はインターネットがあったからこそ知った漫画。作品というものも多数あります。インターネットが無かったら私はトリコロや貧乏姉妹物語や部活動といった漫画に出会えていなかったでしょう。
インターネットが無くなるときというのは、可能性の消失なのかも知れない。と思いました。

ネットが消滅した時に使うテンプレ俺専用

書いた人
アシタノ!のアシタノさん

一言で終わらせましょう。
そうきましたか。

あーん!インターネットが無くなった!のガイドライン

書いた人
週刊少年二次元の有賀さん

ネタがわからないのでスルーします。


そんな、自分のお題を振り返って見よう記事でした。
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