Lingua furanca.

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感想文といえば、小・中学生の頃一番嫌いな宿題でした。何故なら書けないんだもの。指定図書からカフカの「変身」とか「ジキル博士とハイド氏」等を選ぶ僕も僕ですけども。感想文の素材選びにも問題がありましたが、今にして思うと本当に「感想」だけで原稿用紙4枚とか埋まる訳がないんですよ。悩んだ挙句に原稿用紙を埋めるために粗筋を書く羽目になってしまう。すると糞面白くもなく中身の無い読書感想文が出来上がり、読書感想文がますます嫌いになるスパイラル。
そんな、読書感想文苦手っ子だった僕は 悩める青少年に朗報!読書感想文は1行読めば書ける! を読んだ時に衝撃を受けました。「読書感想文は1行読めば書ける!」というのは冗談ではあるが、本を素材として自分語りする事が「読書感想文」に求められているってのは真理であろう。その筈なのに、学校では誰も教えてくれませんでしたね。先生は「面白かっただけではなく、どう面白かったのか書いてみましょう」というアドバイスばかり。正直、面白かった点を探して説明するなんて、かなりの高等技術なんですよ。なぜなら、気にならない配慮が良い配慮だから。悪い点が気になるのは当然。どう直せばいいかも簡単に分かる。一方、良い点は先ず気付くのが大変なのに、それがどうして良いのか考え、さらに説明するのは非常に難しい行為である。元々作文が苦手で書き方の分からない人間に「どう面白かったのか、なぜ面白かったのか書いてみましょう」なんてのがアドバイスになるわけ無い分けないのだ。

より詳しく真面目な 読書感想文の書き方 として 「浦島太郎」でも感想文が書ける!の巻 を紹介してみる。「読書感想文は1行読めば書ける!」のだから、いわんや「浦島太郎」をやである。「浦島太郎」の例にしても結局自分語りだ。読書感想文の書き方を以下に簡単にまとめると

1. 素材を見つけ
2. 肉付けし
3. 設計図を思い描き
4. 下書きし
5. 清書する

という感じ。普通の文章の書き方と変らない。違うのは、読んだ本を中心に据えて素材やテーマを見つける点。つまり、読んだ本をネタにして自分語りをすればいい。Lingua furanca. で、テーマに当るのが「お題」であろう。「お題」に見合った素材を探す必要があるので順番が逆であるものの、Lingua furanca. では「本」を素材に「お題」を語ることを実践することができた。長年疑問に感じていた「読書感想文」の書き方やその意義に一つの答えを得られたのは素直な感動であった。
でも、やっぱり今でも「感想文」そのものは苦手だ。それは、自分の気持ちを書くのが苦手だからだろう。しかし、Lingua furanca. を通して「感想文」の書き方やその楽しさに出会えたから、今後は「感想文」を書くのが好きになれそうです。
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お久しぶりです、痕跡症候群の水瀬です。
今回でリンフラが一旦休止とのことで、皆さん感想を一生懸命書いているようですね。
さて、そんな私はりんふら設立時から何が振り返ってみましょうかね。
設立時の裏話なんかを語っていきたいと思います。


~りんふら設立前のお話~
白球「何かやりたいんすよー、何かー。水瀬さんも一緒にやりましょうよ!」

そんな一言からりんふらが始まりました。
当時の白球くんは「やりたいけど、うまくやれるのかな?」と不安がってました。
うじうじ悩むだけで中々企画が前に進まないという状況でした。
そんな私は一計を案じ、「とりあえず白球を脅迫してみるか!」とのことで某管理人さんと白球くんを脅迫。
こうしてりんふらは動き出しました。
正直、あの時の白球くんは見ていて不安でした(笑)


~りんふら開始時のお話~
何とか動き出したりんふら。
やはり白球くんにとっては始めての企画で、当初の彼は戸惑ってばかりいました。

白球「あー、これどうしましょう?」
白球「わかんないです><」
白球「皆、僕の言うことを聞いてくれるんだろうか?」
白球「水瀬さん、何か良い意見あります?」

おいおいりんふらの主催は私か?と思うようなことが多々ありました。
そんな彼に返す言葉は「お前は暴君だろう?やりたいままにやれ!」だけでした。
その私の言葉が「白球帝国」という単語を作り出すとは当時は予想もしておりませんでした。
ちなみに余談ですけど、白球くんは「白球帝国」とか「白球帝王」とか呼ばれるのがあんまし好きじゃないみたいです(笑)


~りんふら発展時のお話~
果たしてりんふらが発展したのかどうかはわかりませんが(苦笑)
私が「いろんな人をライターとして加えて別の味を出してみないか?」と提案して、りんふらはいろんな人種を吸収していきました。
いろんな考えが飛び交って面白かったのですが、ちょっとグダグダになっちゃったかなぁ…とか反省。
私も中々書けなくなって、白球くんに助言することは殆ど無くなりましたが白球くんはその時、立派にりんふらを運営しておりました。


~りんふら終末時のお話~
始まりがあれば終わりもある。
人が沢山集まれば、それだけの考えと価値観がある。
あ、ちなみにメンバー同士の衝突は無かったのであしからず、あくまで私が見ていた範囲ですけどね。
白球くんの中では「今のりんふらはこのままでいいんだろうか?」という考えがあったようです。
そこでメンバーと話し合った結果「りんふらは終わりではなく一旦休止」という形になったのです。


~りんふらは白球くんの成長物語~
さて皆さん、りんふらはどうだったでしょうか?
「いろんなテキストが読めて面白かった!」という方もいれば「それはどうかと思う!」と思ってる方もいるでしょう。
しかし、この企画は「白球くんの成長物語」だったのです。
人と一緒にやる企画、彼はいろんな意味で大変だったでしょうね。
白球くんにとっては良い経験になったのではないかな?と思っています。
りんふらは一旦お休みしますが、白球くんのことですからまた何かやるでしょう。
その時は絶対に私を誘うなよ…もういっぱいいっぱいです(笑)
次回のりんふらセカンド(?)は白球くんの立派な姿を垣間見ることが出来るでしょう。
それでは皆様、お疲れ様でした。

白球くんも本当にお疲れ。
この経験が後の君の人生に繋がることを祈ってます。
 最終回という事なので、ぶっちゃけ話という事で、口調(文体)も通常モードに戻しますわ(笑)。

 まず、参加してみて思った事。納期がきついですな。2週間なんて余裕があるかと思ったら、平日は昼間は仕事で、夜は自分の更新で手一杯、土日は昼間は家族サービスで、夜は自分の更新で手一杯。社会人・嫁有・子有だと、結構きつい事が分かった。

 丁寧語で書こうとしたら、慣れなくてこちらもきつかった(これは自業自得)。

 お題に答えるというのは面白いなぁと思う。やっていて悩むんだけど楽しい。ただ、やはり納期が厳しかったなぁ。丁度、リアルが公私共に忙しくなってて、それがきつかった。

 でも、お題に興味が無い時は、書きようがなかったので休んだ。初期から比べてどんどん人が増えていくので「私が休んでも問題無いか」と、休む言い訳にしてた(笑)。知らない人がどんどん増えていって、白球帝国が出来ていくんだなぁと思いつつ、そこに参加しながら外から見てる気分だった(笑)。

 後、やっぱりやってて思うのは、誰かが書いた事に、りんふらメンバー内で記事を書いて突っ込んでみたかった。続けていける記事は、皆で繋げてみたかった。誰かの発信だけではなくて、それをきっかけに繋げたりしたかったな。折角の面白い記事をそのままで置いておくのが勿体無くて。

 私も自分のブログで記事紹介はしていたけど、そうではなくて、「その場」でメンバーでやり取りしてみたかった。勿論、内容によっては続け難いテーマや書き方もあるだろうから、全てではないけれどね。それでも何か言いたいっていう文章は幾つかあったから。ただ、それをやりだすと、自分のブログの更新もきつくなり、更には次のお題に対する文章を書く時間も減るという罠……この辺りはジレンマを感じた。

 一巡してという事でいくと、ここで一旦解散したら良いと思う。解散して、プロジェクト制の企画ブログにする。ネット論をテーマに1年やります、とかね。次回は漫画論で1年やります、とか。別に半年でも良いし、テーマに対して募集して、集まった人の数×月でも良いし。

 それで、メンバーは固定にしてしまう。互いの記事へのツッコミ記事を、りんふら内で書く事も自由にしてしまう。広げたい人は勝手に広げるという(笑)。しりとりではないけれど、あるお題に対して皆で一斉に書いて、それを提示した上で、突っ込みたい記事に各自がガンガン突っ込む。勿論、外部からのコメント・TBもOKにして、「議論をしている人達」を見せつつ、「その議論に入れる」という形を取る事で、内輪だけっぽくなくなるんじゃないかなと思う。

 また、テーマが決まっていれば、それについて書きたい人が集まるし(集めるし)。書いたら書きっ放しになってしまう感があったから、その辺りを活性化させてみたかったなぁ。私はネット論がやりたかったけど、それ以外のテーマで一定期間毎に書きたい人を集めて書いていくのは面白いんじゃないかと思う。

 それにしても、18回まで続いたという事は、2週間に1お題だから、9ヶ月か……長く続いたなぁ。こういう企画に参加するのは久しぶりだから、凄く面白かった。誘ってくれてありがとうございました。今回のこの一巡を叩き台にして、更なるりんふら発展に繋げて欲しいと思います。
多くのサイト管理人が集まり、ジャンルも問わず、毎回毎回好き勝手にお題を設定しテキストを書いていった。何を目指し、何を求め、何のために行っていたのだろう。考えに考えてあるひとつの結論に私はたどり着いた。以下に記すのは私の完全なる妄想である。付き合える覚悟のある者だけついてきてほしい。
とかまあ大仰に書いたところでいつものテンションに戻りますよ。ネタっぽくも真実はここにあり!みたいな文章を書くのが好きなので今回もそんな文章になっております。読者の方は深読みして深読みして「なるほどそういうことか!」と勘違いしていただけたらこれ幸い(してやったり!)です。

結論から書きますと、りんふらは「白球さんによる『混沌とするインターネット界の統一』を目指す運動」の先駆けとして発表されたものに過ぎない。と、不肖やくろは思っております。
白球さんはインターネットをとても愛しており(2次>>3次という考えをお持ちである点から推測した。またニュースサイトを毎日更新することから)毎日毎日たくましくも勇敢にこの荒波を泳いでいるのだろう。荒波を泳いでいると色んな情報が頭の中に洪水のように流れ込んでくる。情報には当然良い情報と悪い情報が存在する。それにずっと触れてきた白球さんはふとこう考えたに違いない。
白球「インターネットは楽しさもあれば恐怖もある。メリットがあればデメリットがある。それはインターネットがまだ過渡状態にあり、安定な世界を供給できていないからだ。このままではインターネットは終わる。誰かがこのインターネット世界を統一し、平和な世界を築く必要がある。」と。
あくまでも私の妄想で白球さんから言質をとったわけではなく、もしかすると「なんかやってみたくなったからやりました!」という曖昧な理由からだったのかもしれないが、個人的にはこの考えは当たらずも遠からずという妙な自信がある。つまり自分でいうのもなんだが良い線いっていると思うのだ。少なくともりんふらが「何かの先駆け」であることは間違いないと思う。完了形の前の完成形って奴だ。だからこそ、最初に述べたようにりんふらは「自由」だったのだろう。だからこそ、何を目指し、何を求め、何のために行っていたのかが分からなかったのだろう。なぜならその答を見つけるための手段がりんふらだったのだから。

さてさて、あまり長いお話になってもつまらないので軽くまとめてしめることにする。
「Lingua furancaとは結局なんだったのだろう」という疑問に対する明確な答は発起人ではない私には用意することが出来ない。だが参加者の立場として答となりうるものを挙げさせてもらうならば「インターネット統一に向けての数ある手段のうちのひとつ」と述べさせていただきましょう。
りんふらが「Project::Logistica.」に多大に影響されて出来たように、今後りんふらを触媒とした素晴らしいサイトが出来るのに私は期待している。なぜならりんふらは一つの形を示せたとそう思うからである。

最後に一言どうしても書かねばならないことがある。
「Lingua furanca.のお題を1順して」というテーマを与えられたならばこれだけは絶対に必須な言葉だ。

白球さん、ありがとう。そしてごめんなさい。
リンフラが一巡したということで、参加者の皆様お疲れ様でした。とりわけ、白球さんは当方を筆頭に問題児を取りまとめるという役回りで、大変だったと思います。本当にお疲れ様でした。また、読みに来てくださった方々もありがとうございました。

さて、リンフラ第一部はこれで〆ということで、感想をダラダラと書いてみようかと思います。メチャメチャ内輪ネタなテキストになりますがご容赦ください。


リンフラへの参加目的
  • まず、当方がリンフラに参加した理由について簡単に書いてみます。
    • 結論から言えば、いろんな人の話を聞いてみたかったから、になります。
    • これはオンライン・オフライン全部ひっくるめてです。
    • 当方はこの企画に参加した時点で、単純にテキストをWebにアップして終わりにするつもりはありませんでした。
    • チャット会でもいいし、オフ会でもいいし、ともかく何らかの形で、通常聞くことができない話が聞けないかなぁ、という下心を持って参加しました。

  • 結果を言えば
    • この勝手な目論見は成功しました。
    • 実際に何人かの方にはお会いして実際に話をする機会を得られ、チャット会で何人かの方と喋ったりもしました。
    • 目論見通りリンフラは、出会い系サイトとしての役割を見事果たしてくれたのです!(笑)

  • 本当に面白い、クリティカルな情報はWebには出てこない
    • な~んて書くと、色んな人から、異論!反論!オブジェクション!!を貰っちゃいそうですが、当方自身は結構本気でそう思っています。
    • なぜなら、Webで表現活動を行う場合、不特定多数の人に見られるということが前提にあるため、どうしてもブレーキがかかってしまいます(たまにブレーキが壊れてる人もいますが)。
    • 今更な話ですが、Webに流していい情報と、流すとマズイ情報というのは厳然と存在します。
    • しかし困ったことに、Webに載っけるとマズイ情報のほうが、えてして面白い場合が多いのです。
    • そういった話を聞くには、話をしてくれる人と仲良くなるしかありません。

  • こういう企画はいいキッカケになります
    • これまで喋ったことのなかった人と、コミュニケーションができると、単に面白い話が聞けるだけに留まらず、その先にさらなる展開が広がる可能性があります。
    • 例えば、当方の場合は、この企画を通じてミルトさんとお喋りする機会を得たのですが、その縁で「ニュースサイト読本」にお誘い頂きました。
    • たぶん、リンフラの縁がなければ、誘ってもらえなかったんじゃないかと思います。
    • 一つの縁は、新たな縁を呼び込むものらしいです。
    • こういうのは大事にしないとなぁ、としみじみ思います。


感想とか書いてみる
  • Project::Logistica.と比べると
    • 出されるお題が圧倒的に難しかったという印象を持っています。
    • 「新しい法律を一つ作ってください」だの「他の管理人の現在・過去・未来を勝手に決めた上で、追悼文を書く」だの、一体どういうアウトプットを求めているのかと小一時間問い詰めたくなるようなお題が結構ありました。
    • 普段文章を一切書かない人間にはなかなかハードルが高かったです。
    • 書き手のスキルの差がモロに出る、なかなかエグイ企画です(笑)
    • そんな中、たまごまごさんはさすがの貫禄でしたね。
    • 普段からテキストで勝負してる人はやはり違います。
    • こんだけ参加者がいながらキチッと自分のカラーを出してました。

  • 自分自身を振り返ると
    • 「自称・量より質」というわけで、提出率最下位を熾烈に争っていました。
    • 結局提出できたのは4回ぐらいでしょうか(数えてないですが)。
    • 一番最後に参加した、犬さんより少ないという体たらくです。
    • ちなみに個人的なお気に入りはこの記事だったりします。
    • 三十秒で作られたエントリでしたが、その後の反応は思いのほか大きかったです。
    • アスキーアートだけの記事というのを、一度こういう真面目な場でやりたかったので、実行できて満足です(ぉ

  • こういう企画は大変です
    • まず、主催者。これはもう、ものすんごーく大変だったはずです。
    • 言うことを聞かない参加者(当方とか)。忙しいリアルとの両立。モチベーションの維持、等々、表に出てこない苦労が山のようにあったはずです。お疲れ様でした。
    • しかし、ひとまず一巡するまで無事に持っていったことは素直に誇っていいはずです。
    • なんかこんな風に書くとスゴク偉そうですね(汗

  • 次に参加者。その中でもとりわけ高頻度でテキストをアップしてた方々。
    • 自分のサイトの更新もやりつつ、テキストを書き上げるエネルギーには感服しました。
    • このあたり、もう自分はまったくダメダメだったので、余計にそう感じてしまいます。
    • リンフラを支えた功労者は、やはり継続的にテキストをアップし続けた人たちでしょう。
    • とりわけlastlineさんは毎回まとめを作られるなど、積極的な動きを見せており、リンフラの屋台骨となってくださいました。
    • 気が向いたときだけテキスト書いてたヘタレどもは、彼らに足を向けて寝られませんね。


おわりに

  • ひとまず一巡目が終了です
    • 二順目があるのかないのか。
    • メンバーは固定なのか、入れ替えるのか。
    • このままの形態で継続するのか、まったく別の形になるのか。
    • これからリンフラをどうするつもりなのか、当方は知りません。
    • もしかするとまったくの白紙かもしれませんね。

  • しかし、一つ言えるのは
    • これで終わりではないだろうということです。
    • 何らかの形で今回のこの企画が、参加者の今後の活動に対し影響を与えるでしょう。
    • 当方の関心は、各々がこれからどうするかにあります。
    • そんなわけで、あえて以前出したお題をもう一度提示して、本テキストを終わりにしたいと思います。
    • で、オマイラ。次は何するよ?
とある町のカウンターに、私はいた。
オープンしたのが4月。そして今は雪が降りしきる12月。その頃には一時閉店するという話を最初から聞いていたが、いざその時になるとえもいわれぬ寂しさがこみあげてくるものだ。
ここは色々な酒を出してくれた。時には非常に不思議な味出会うこともあった。時には舌鼓を打って毎日飲みに行ってしまうものもあった。
そんな中に、自分の考えたカクテルも提案したことがあった。
自己満足的においしいこともあれば、周りの客が不思議そうな顔をしていることもあった。それらも全部含めて、面白いものだった。
そして、私は、おそらくこの店で最後になるであろう酒に手をかけた。

「お客さん、なんだか湿っぽい顔していますね。」マスターは言った。
「あ、ああ。」不意を付かれた私は答えた「まあ、この店が一旦閉じると聞いたらね。」
「ありがたいことを言ってくれますね。」マスターは微笑んだ。
私は、マスターの笑みにちょっと妙なものを感じた。
「マスター、あんたが一番寂しいだろう?まあいつか再開するかもしれないとはいえ、一時的に閉じちゃうんだろ?」
「前から決まっていたことですからね。それに、わたしゃあ思い出に浸るっていう柄じゃあない。」マスターは突然新しいグラスを出し、そこになみなみとジンをついで肩をすくめた。「乾杯。」
「へ、あ、かんぱい。」私はマスターの差し出してきたグラスに自分のコップを近づけた。マスターはそうして、自分でそのワインをぐいぐいと飲み干した。「たまにはそのまま飲むのが好きなんですよ。」
「カクテルが得意だっていうのに、よくいうよ。」私は軽くあきれながら笑った。そんな気さくなところも彼らしい。
 
「色々な出来事がここを行き来したんじゃないかい。思わぬ客が来たり、思わぬメニューが出来上がっちゃったり。」私は自分の飲んでいるお酒の味の感覚に頭をぐらつかせながら、言った。「これなんだかしょっぱくないか?」
「それも味ってやつですよ。結構くせになるんですよ。」マスターは赤ら顔で言った。そんな酔った状態で言われても納得はいかないが、しかし説得力はあった。彼がそれだけたくさんのものをここで出してきたからだ。
「ふーん。まあ、あれだな。」私は言った。「面白いな。」
「でしょう。面白い。」マスターはグラスを鳴らしながら言った。
「んで、マスターは満足はしたのかい?この8ヶ月で、色々なメニューを出してさ。色々な客にお酒を出してさ。本当に満足したのかい?」
「満足っていうのは、どの状態でしょうね。」マスターはグラスに二杯目を注ぎながら私の方を向いた。なんだか鼻が赤い。
「そりゃ・・・そうだなあ。自分の中で及第点かとか、できるだけのことはやったか、とか。」私は言いながら、なんだか分からなくなってきた。
満ちて、足りる。もしかしたらそれは円のような状態かもしれない。しかし100%が必ずしも満足とは限らない。
「このグラスを、お客様の舌を満足させる状態というのは、」マスターはグラスに新しいカクテルを注ぎ始めた「このくらいでしょうか。それともこれくらいでしょうか。」
マスターは、8分目まで入れたグラスと、なみなみあふれそうなほどに注いだグラスを並べた。
「多けりゃいいってものじゃ、ないだろう?それじゃあふれちまう。」私は言った。
「その通りだとわたしも思いますよ。なら、コップを大きくすればいい。」マスターは大きなグラスにあふれそうなカクテルを移した。「これは、満足でしょうか。」
「いや、違う、なんだろう、」私は分からなくなってきて、首をひねった。
「わたしは、器の大きさも、酒の量も、二の次だと思います。もし『満足』という言葉を使うのなら、それは味の質をささなければいけない。」
「ああ、そうか、そうだな。」
「ならば、お客様全員100%が満足する味はあるのかと、わたしゃ悩みました。結論としては、ないです。」マスターは目を細めながらいたずらっぽく微笑んだ。「いやあ、なんとも情けない話ですがね。しかし好みも違えば、日々味の変わっていくものが相手、完璧にはほど遠い。」
「なら、マスターは今まで満足していなかったってのか。そんなんで一時的に店を閉じて、それで心残りはないのか?出来るまで続けたいと思わないのか?」私はマスターに問いかけた。それはマスターへの問いかけであると同時に、自分への問いかけでもあるように感じられた。
「器を大きくすること自体には意味はないんですよ。しかし、わたしゃ日々楽しんでいた。お客様の中には喜んでくれる人も、時には好みが合わなく首をかしげる人もいた。だけどここに店があって、色々な人が行きかった。質は完璧にはならなくても、それを目指そうと試みた。まあ実際は5%くらいかもしれませんね。ただ、ここに集い、語り、飲んだこと。それに後悔はありません。」マスターは私のグラスにビールを注いだ。
「そうか。」私はビールの入ったグラスを持ち上げた。「なら。私もここにきたことを後悔はしていない。」
「またおいしいものを作るためになら、時間や場所は違うかもしれないけど、やるつもりです。100%は出来なくても、目標は高く。肩の力はゆるく。」マスターは自分のグラスにもビールを注いだ。「これは、器が大きくて量が多いと、ちょっとうれしいですね。」
「まったくだな。」私は彼の言いたいことが、ぼんやりと熱病のような頭に溶け込んできたような気がした。
「乾杯。」
「乾杯。」
私とマスターはグラスを鳴らした。
「まあ、美味しいこともあったよ。後悔はしていないよ。もし、どこかで、また満足するために新しいカクテルに挑むのなら、またこっちも挑んでやる。」
「いつか、またどこかで。」マスターはその瞳を細めながら、視線を確かにこちらに向けて、言った。
 
BAR「Lingua furanca.」。
ここですれ違った人たちは、どこへ行くのだろうか。またどこかで集いあうのだろうか、それともそれぞれバラバラの生活に戻るのだろうか。
だが、私はここでマスターに出会い、様々な人と酒をくみかわしたことを、きっと忘れないと思う。
100%の味に出会えたかは分からないけれど、楽しく過ごした時間に後悔は、ない。
 自分自身リンフラは、忙しくて書く時間が取れなくなったのもあって最初の数回以降は全く書かなくなりました。しかしその後もリンフラのサイト自体は毎回読んでおり、改めて自分の文章力の無さとか、ネットにおける文章を書く才能にあふれた人たちの存在というのを知ることが出来て非常に有意義でした。
 しかし、文章力云々を言う前に、このように文章の発表を行うサイトにおいては、いい文章を書くということ以前にまず見てくれる人が必要なのです。イラストなどでは直接視覚に訴えるものであるために発表がしやすく、また発表をする場もたくさんあります。
 リンガフランカにおいては優秀な人材が多く集まり、優良な文章が発表されてきましたが、こう言っては何ですが、その執筆者は別に全国的にファンがたくさんいるライターでも何でもなく単なる個人ブロガーです。そのためにやはりアクセスする人間はどうしても内輪に限られがちになります。そこで多方面からのアクセスを呼び込む方法というのを自分では答えを導き出せずじまいです。
 これまでのリンガフランカでは、ブロガーが力を合わせることの可能性と限界とが見えたような気がしました。
その国は闇に包まれていました。
夜です。夜がいつもそこにいました。
月もいました。月だけが国を照らしてくれていました。
いつも「ゴーンゴーン」という音で時間を教えてくれる時計塔もいました。だけど、時計塔は黙り込んだままでした。

この国はいつからか、太陽が昇らなくなりました。
なぜそんな事になったのか、誰にも分かりませんでしたが、その国に暮らす人達はいつか夜が明けると信じていました。
「明けない夜は無い」
いつかはいつものように、朝日が上り、夕日が沈む。そんな日に戻れると信じていました。

夜が来てから一週間が経ちました。

一週間も日が昇っていないと、人間は気が滅入るようです。
滅入った人達は国を出て行きました。

夜が来てから三ヶ月経ちました。
太陽が出なければ野菜は育ちません。
野菜が育たなければ、農夫達はそれをお金に換える事が出来ず、暮らしていけません。
農夫達が出て行きました。

夜が来てから数年経ちました。
若い人たちは誰もいませんでした。
残っていたのは、隣の国に行くほどお金も力もない老人達ばかりでした。

夜が来てから十年経ちました。

私はまるでそれが癖のように、時計塔を見上げました。時計塔はいつもと変わりません。
止まっています。この国と同じように止まっています。
私は思いました。
「時計塔を直してみよう」
昇りました。時計塔を昇りました。
歯車がありました。しかし歯車が上手く回っていません。
私は歯車に油を注してみました。ぐるぐる。まわり始めました。
するとーー
ゴーンゴーン……
鐘が鳴り始めました。
何年も聞いていない懐かしい音でした。
そしてーー太陽が昇り始めました。

私は気付きました。待っているだけじゃ駄目なのだと。動かなくては何も始まらないのだと。
私は旅に出ました。
私自身の時を動かすための旅です。
ーーゴーンゴーン。
止まらない鐘の音がずっと、ずっと鳴り響いていました。
終わったー!楽しかったー!


Lingua furanca.に参加できました。
最初はただ見ているだけで、第一回目のお題を見てあーこれならなんか書けるかもしれない。と書いてみました。
その後、白球さんとメッセで会話していて、それでなんか参加しますか?とか言われて……
気がついたらこうなっていました。

その後は、流れにおもむくままに何かしらの記事を書いていました。
Lingua furanca.メンバーから出されるお題に四苦八苦しつつも、充実した時間がすごせたと思います。
反省点は星の数ほどありますが、素直にこう思います。

Lingua furanca.が始まったのは今年の4月1日。
そのLingua furanca.も今年いっぱいでいったん休止に入るそうです。
思えば、この8ヶ月間毎月締め切りにおびえる日々でした。
15日と30日。この2日の日は毎回毎回うーんうーん悩んでいました。
(Lingua furanca.の記事の締切日が毎月15日と30日だったのです)
出来上がったー!と思っていざ提出した後に読み返すと
「……これはひどい」

そんなことがしょっちゅう。もうほんとすみません。読んでくださった方ありがとうございます。

そうそう、このLingua furanca.ではひとつのお題に関して
色んなサイト・ブログの管理人さんがわいわいがやがやと書くというものだったのですが……
もう、書くたびに他の人と被っていやしないかと不安になるわけです。
後ね。こうね。
文章上に工夫を入れなきゃいけないとか、アイディアを詰め込んでみようとか、ネタを仕込んでみないといけないとか。
そんなことを考えて、書いては消し書いては消し。BackSpaceを私は何回押したのかわかりません。
そして出来上がって、提出して自分の記事を読み返すと




orz……生まれてきてごめんなさい




こんなこと言っていますが、しかしその一方で、お題について考えている時間は楽しかったです。
次はどういった感じにしようかなーこれにしようかなあれにしようかな。
どうやって書こうかな。前はあんな感じだったから次はこうやって書こうかな。
お題がこれだからあれについて書こうーと、いやあれもいいなーどうしよっかなー迷うなー。

考えている時間はすっごく楽しかったです。考えている時間は。
いざ書くとなると別世界なんですよ……orz



そんな風に苦労もしましたが、他の人の文章を読むのは好きでした。
同じお題について書かれているのに、書かれている内容は違うこと。
なるほど、こういう考えがあるのかとか、あ、面白い。こうきたかーと思わせてくれるようなそんな文章に数多く出会えました。
これは、読者さんよりも参加していた人のほうが多く感じているんじゃないかなーと思います。
お題について悩んだり色々考えたりしたからこそわかる楽しさといいましょうか。
いや、本当に面白かったし楽しかったです。


まぁ、しかしそんなこんなでLingua furanca.も休止休止ー。
文章にまとまりがありませんが
とにかくはちゃめちゃで大変だったけど楽しかったなーという気持ちが伝われば幸いです。

うん。楽しかったな。
A君:どうして君はサイトを始めたんだい?
B君:好きなサイトがあるからさ。
A君:どうして君はサイトを始めたんだい?
B君:越えたいサイトがあるからさ。
A君:どうして君はサイトを始めたんだい?
B君:好きなサイトがまた一つ増えたんだ。
A君:どうして君はサイトを始めたんだい?
B君:好きな漫画があるからさ。
A君:どうして君はサイトを始めたんだい?
B君:素敵な作品をみんなに伝えたいんだ。
A君:どうして君はサイトを始めたんだい?
B君:誇れるものを見付けたいんだ。
A君:どうして君はサイトを始めたんだい?
B君:自分で自分を評価できるからさ。
A君:どうして君はサイトを始めたんだい?
B君:自分で自分を見つめなおせるからさ。
A君:どうして企画に参加したんだい?
B君:好意に値するよ。好きってことさ。
A君:そんで、要約すると?
B君:暇だから。
A君:働けカス。


今回のお題は「Lingua furanca.のお題を1順して」ということで、
Lingua furanca.参加から今に至るまでの感想をストレートに書いてみようかと思います。

■白球さんに見てもらいたくて
Lingua furanca.への参加は第5回からですが、
実は地道に第1回からトラックバックを送っていました。
もともと私は白い戯言の影響を受けてニュースサイトを始めたくらいですから
これは乗らないわけにはいかないでしょう。

この記事白球さんは見てくれてるのかなぁ、他のメンバーは見てくれてるのかなぁ、
あ、白い戯言で紹介してくれたようれしいなぁ、とかそんな感じ。


■そして出会いは突然に
第4回お題(トラックバック)が終わり「第5回のお題まだかなぁ」とか思っていた5月20日に
突然メールがやってきます。

-----
Subject:白い戯言の白球です。

それで、今回代表管理人である私の方から、もしよければ同じ執筆者側になって
欲しいなということでメールを送らせてもらいました。
-----


fromヘッダに本名丸出しだったそのメールはその後の私を大きく変えるものでした。


■書く苦しさを知る
羅列系ニュースサイトを運営している私にとって、記事を書くことは非常に苦しいものでした。
トラックバックとは違い明らかにLingua furanca.メンバーが記事を見る。それだけでプレッシャー。ネタはカブらないだろうかとか、皆を驚かせる記事を書かなきゃいけないんじゃないんだろうかとか。
オチに逃げ、トリッキーな文章に逃げ、「もうすぐ出します、もうすぐ出します」と白球さんに平謝りし、しかも結局提出しないという暴れっぷり。今思えばもう少し肩の力を抜いて取り掛かればよかったかなと反省しています。

今だから云える、白球さんごめんなさい。


■そして、「Lingua furanca.をやって得たもの」
記事を提出したりしなかったりする最中、
Lingua furanca.メンバーと少しずつ交流を持つようになりました。

とある方からは「文章好きですよ」と云って励ましてもらいました。
とある方とは直接お会いすることができました。
そしてとある方とはまだマイミクにもなっていません。どうみても当方チキンです、本t(ry

Lingua furanca.参加に始まり、mixiを始め、twitterを始め、交友関係が爆発的に大きくなりました。サイトを始めて1年が経ちますが、当時からは全く想像できなかったその交友関係は全てLingua furanca.から始まったと云っても過言ではありません。



最後に。

今後も多くの人と話し、会うことになるのだと思うのですが―

その度に私は、自分のことを堂々とこう云うことでしょう。

「全部、Lingua furanca.から始まったんですよ」と。
自分は途中から参加組だったので、半分くらいしかやってないですが。
もう少しマジメに書くべきだったのか、遊ぶべきだったのか結局よくわからないまま一巡してしまいましたが、そこそこには話題に上ることのできる文章を残せたんじゃないかと。

私は本来ゲーム好き方面の人間で、漫画系なサイトだったり、ネット論を扱うサイトの方とはできるだけ一線を画すような文章を書くように心がけましたが、いかがだったでしょうかね?
まぁ…、浮いていただけだろうけどな。
自分のサイトでは、やっぱりゲームだったりアニメだったりの話題が中心なので、そんなサイト論じみた話を書いても誰も読まないだろう。
だけど、サイト論だったりを一回書いてみたくて、その書くようなきっかけが欲しかった。
それ故に白球さんに無理やりお願いして参加させてもらいました。

ちょいグダグダな文章が続いて、ようやく最近慣れてきた頃に終わってしまうのはちょっと残念ですが、ここで得た文章を書く力を自分のサイトのゲーム・アニメ感想を書くときに生かせればいいかな、なんてね。

参加する前は、自分はみんなを凌駕するような文章を書けると思っていたんだけど、実際書くと自分の文章力の無さに泣きそうになりました。
思ったことを思ったように伝わるように文章を書くのは意外と難しいものです。
たまに反応をもらって、反応を見ると、私の書き方がまずかったかと思うことは多々あり、Lingua furanca.という場は、どれだけ自分の思いを読者にわかりやすく伝えるか、その難しさと楽しさを学びました。

あとは、お題を通じて記事を読むにつれて、それぞれのサイト管理人の想いなどに触れることができて面白かった。今では、りんふらの管理人サイト全てが私の巡回ルートの一つになっていますしね。
この辺についてくわしくみんなを褒めたたえる文章を書くつもりだったんだけど、恥ずかしいのでやめます。
そんなキャラじゃないし。
本当は王子様に憧れる普通の…(ry
参考1:http://www.youtube.com/watch?v=W6MxRZahEgA
参考2:http://blog.livedoor.jp/sebastianus0884/archives/51146186.html

こういう〆方の方が私らしくていいや、あはは。
 Lingua furanca.とはウェブサイト管理人を集め、二週間に一度決められたお題についてテキストを書き起こすブログである。「白い戯言」の運営者である白球氏が発案し、「まなめはうす」のまなめ氏らが協力する形で実現したそうである。

 まず、集まったメンバーの管理するサイトの種類は様々である。最も多いのは企画提案者の白球氏やまなめ氏などのニュースサイトである。ニュースサイトとは、ウェブ上に散らばっている新聞記事やブログ記事、画像などを見て回り、それらをまとめて一つのページにリンクするサイトである。

 ニュースサイトに次いで多いのが、lastline氏やたまごまご氏のような、テキストサイトである。こちらは自身の体験や経験、考えたことなどを文章にまとめてアップロードするサイトのことである。大食いをしたり格闘したり、と体を張ったネタを披露するサイトもテキストサイトと言えるだろう。

 そして、最も少ないのが2ch系まとめサイトである。これは2ちゃんねるの数多い板からスレッドを漁り、面白いレスを抽出していくサイトの総称である。有賀氏のようにスレッド全体をまとめるタイプもあれば、セミマル氏のように面白い1レスや2レス分だけをコピペするサイトもある。

 ただ、大概の方は一つのサイトにおいて複数の活動をしているか、複数のサイトを運営している。ミルト氏や水音氏らは基本的にマンガやアニメ関連のニュースを紹介しているが、自ら感想のテキストを起こすこともある。セミマル氏はニュースと2ch系まとめの二つのサイトを同時に運営している。

 書くべきお題は、これらのメンバーの持ち回りによって決定されてきた。記念すべき最初のお題は発案者である白球氏が決定し、その後は個々のメンバーが順々に自分の好きなお題を提出してきた。サイト管理人が集まったからといって、サイト論に偏ることもなかった。「新たな法律を作り出す」といったものから、「好きな映画について語る」など、多種多様なお題が提出された。

 Lingua furanca.の最大のメリットは、そこに集まった管理人同士が交流できたことだろう。互いのお題に答えあうというシステムであるから、結果として管理人は互いに親近感を持つ。自分の書いたお題に対する答えは読みたくなるのが人情であるし、答えてくれた人間のお題について考えるのも人情である。

 このメリットによって生まれた結果の端的な例が、夏コミで行われたオフ会である。当初はLingua furanca.関係者のみということだったが、結果的には三十人前後のメンバーが集まった。Lingua furanca.が核となり、管理人交流の場を生み出したわけである。

 逆にいえば、Lingua furanca.自体が何かの結果となることはなかった。多少のコメントとトラックバックはいただけたが、それは参加した管理人の知名度と比べれば決して多いとはいえない数字である。これはアクセス数についても同様のことがいえる。

 これはお題の持ち回りシステムが多種多様な回答を生み、一定した閲覧者を得るのが難しかったからでもあろう。また、Lingua furanca.の形式を考えれば、「twitterの楽しさ」や「mixiの犯罪告白」など、その時々の旬に合わせたお題を選択することで話題を集めることも考えられるが、実行されなかった。これは参加する管理人にとっては交流自体が楽しいものであったため、知名度を上げる必要性を感じなかったためだろう。

 おそらく、参加した管理人らにとっては少々手間はかかったが楽しい企画だったと感じていることであろう。ほとんどの閲覧者にとって、ほんの一瞬だけ視界をよぎるブログであったろう。単純にいえば、Lingua furanca.が成功であったか、失敗であったかはスタンスによって違うということだ。

 それを踏まえて、次は誰がどんな企画を行うのか。今はそれが楽しみである。
Lingua furanca.…通称りんふらを運営してもう半年以上もやってることになりますね。
一応条件を色々とつけてやってたせいもあるのか、
そこまで長く運営してたとはあんまり思いませんでした。

だけど、りんふらを通して学んだことはいっぱいあります。
今振り返ってみると多くの人に支えられて出来たブログだと思います。



まず最初にProject::Logistica.に僕が興味を持たなければりんふらは出来なかったと思います。
別に他の人が思い浮かべたのであれば、似たようなブログはもちろんできたと思います。
けど、今ここにあるりんふらは唯一無二の存在です。
別の人がやったら違うものに変わってしまいます。
このメンバーだからこそ。
このメンバーだからこそ、りんふらは成り立っていると僕は思っております。



さて、ロジスティカとりんふらは方向性が若干違うと思います。
これは見てくださればある程度わかるはずですが、
ロジスティカは思いっきりネット論に関連するものを集めたブログだと思っております。
無論そのメンバーの中に僕がいるわけでもないのでロジスティカの真意は不明ですが。
りんふらはそのロジスティカを真似て出来たブログといってもいいでしょう。
実際僕はこれに似せようとして発端したわけですし。
なので、元々僕の中でのりんふらはネット論なんかを中心にしたいと思っていたんですよ。
ただ、実際作るにあたって会議をした際に、
ネット論だけなら見る人が限定されるのでサブカル的なお題も入れようということになったんです。
だから正直言えば僕の理想とは少し違った形で完成されたんです。
結果的に作ったことに関しては異論が無いのでいいのですけどね。



で、完成されてから半年以上が経過したこのりんふら。
一応代表管理人ということで更新の管理とかもやってきたわけですけども、
反省点ももちろんございます。

まずとある時に指摘されたんですが、甘かったこと。
感情的に怒れない時が多いんで何ともいえないんですが、
「忙しい時は連絡してくだされば書かなくてもいい」という条件を付けていたので、
それを利用している人が多かったかなというイメージが僕の中にありました。
まぁそこら辺は僕自身がしっかりしていればどうってことなかったことでもあるので、
正直メンバーに対しても自分に対しても甘かったなあというのが一つ。

次に更新方法。
これは色々と最初に決めていたんですけども、
実際更新してみると勝手が違うなぁというのがありましたね。
あとこれに付随するのが、ブログの管理不足。
ブログにはよくあるスパムコメント・トラックバック等の処理を他のメンバーにもやらせていたり、
アーカイブの更新がさっぱり途絶えたりと色々申し訳ない部分が目立ってしまっています。
さらには更新忘れ。一番駄目ですね。
予約更新を使わないのかというのもありましたが、
ブログを始めた当初ちょっとトラブルがあって以来あんまり使っていないのがありまして、
結局時間近くになったら更新するという形を取っていたのですが、
それが仇になって忘れることが多くなりました。改めてすいませんでした。

細かいこと抜きにしたらこの2点が思い浮かびました。
更新の裏には「こういうこともあったんだな、へぇ」と思ってくだされば幸いです。




さて、とりとめもない中の話題を長いごちゃごちゃ書いていきましたが、
結論からすれば凄くいい体験だったと思いました。
僕は普段は適当にニュースサイトをやってる立場なので、
このような多人数でのテキストブログというのはとても新鮮でした。

そこで忘れてはならないのが、この経験を次に生かすこと。
同じ事の繰り返しをしていてはやった意味がないと言っても過言ではないでしょう。
様々なことがこれからもあると思いますが、その度に学んでいけたらいいかなと思います。
お題の第18回は、「Lingua furanca.のお題を1順して」です。

発案者は白球(白い戯言)です。
「Lingua furanca.」というブログで追悼文がどうのこうのという話題を見た。
ここで書かれているのは幻想に過ぎない。
本当に死をいたんで悲しんでくれる人などはリアルでの付き合いがあるホンのひとかけらだ。
もしこんな俺が仮に死んだとしたら何が残る。
誰も取り扱い方法を知らないだろうから過去ログは残るだろう。
過去ログを見たところで見るに耐えないものばかりだ。
ちくしょう。内輪だからあんなこと書けるんだよ。
こんな僻みも届かないおめでたい野郎なんだろうな、きっと。


…。


……一度でいいから、こんな風にちやほやされたかったな。
あー、楽しくブログを書いてた頃が懐かしい。
今となっては惰性による産物だ。
こんなもの見ても何の得にもならない。


…何もかも捨てよう。
これが孤独な管理人による孤独な追悼式なのさ。
さようなら。もう悔いは無い。




翌日からその管理人のブログにはこう記されていた。

ご指定のページが見つかりません。
URLをもう一度お確かめ下さい。
あなたのブログで「ブログやめます」という言葉を見たときは、
ショックのあまり目を疑ったよ。
ブログを間違えたのかと思ってアドレスを確認したり、
今日はエイプリルフールだったかとカレンダーで確認したりもした。

でも、もう決意しちゃったことなんだね。

あなたのブログを初めて見たときのこと、
今でもはっきりと覚えてる。

あれは私のサイトを褒めてくれた記事だったね。
自分のサイトを好きって言われることがこんなにも
嬉しいことなんだって気づいたのもあなたのおかげ。
他にも、あなたのブログに出会わなかったら
こんなにも気づきを得られなかったと思う。
それほどまでに、影響を受けていたんだよ。

そんな素晴らしいブログだから、
あなたのブログには常に賑わっていたね。
こんなにも読者に囲まれていたら
もう私のことなんて覚えていないだろうなって
見えない読者に徹していたけれど、
突然「今度、会いませんか」と誘われたときには、
嬉しくて涙出ちゃったんだから。

コメント欄に嫌がらせを書かれたりもしたけれど、
決してブログに弱音を書くことも無く、
常に“笑顔のあなた”でいてくれたね。
すっごくうれしかった!

そんなあなたがブログを閉じてしまうことは、
やっぱり残念なんだけれど、
あなたが決めたことなんだから、それで良いんだよって
送り出してあげたい。

ブログ、寿閉鎖おめでとう。




P.S.
最後にもう一言だけありがとうを言わせてください。
こんな私をパートナーに選んでくれて、本当にありがとう。


<注意>
この追悼文はフィクションです。作者が現実になることを願って書き綴った妄想に過ぎません。
私は死んだ。
しかし、死んだはずなのに意識がある。
死んだはずだと考えることができる。
もしかしたら、奇跡的に一命を取り留めたのかもしれない。
いや、確かに私はその存在を消されたはずである。
私自身がこの世から消去される絶望的な虚無感を味わったはずだ。
この世からのリンクを永遠に隔絶されていく様をなす術も無く見守っていたはずだ。
その時、私は確かに死んだ。
死んだら意識がなくなるものと考えていたがそうでもないらしい。それも悪くない。

自身の死を再確認する作業は何とも奇妙な感覚であったが、
自身の死を知覚したことでおぼろげだった意識がはっきとしてきた。
意識が鮮やかになるにつれ、自身がかつての私と違うことに気付き始めた。
また、自身の周りにも注意が向けられるようになってきた。
私が現在いる場も自身が拠点とした場と非常に似た場なのであるが何か不自然である。
大きな違いがあるわけではない。ただ、違和感がある。
始めはその違いが分からなかったが、しばし観察していると周囲が全く微動だにしてないことに気が付いた。
それは、自身が死んだ瞬間に見た光景であり、自身が死んだ瞬間のまま静止していた。
そして、生前はその拠点から色んな場へ飛んで行けたのに今はココから出ることすらできない。
元より自分自身も、死んだ瞬間から全く変化することが無くなった様だ。
つまり、私自身と私がいる場が全く持って静的なのだ。それが違和感の正体。

しばらく、あれやこれやと自身の死とその変化について思索に耽っていると訪問者がやってきた。
意思疎通できるかなと期待していたのだが、接触することはできなかった。
生きている奴と接触できないのが死んだ奴のなのだろう。これも違いの一つか。
訪問者は私の事を悲しそうな目で見て、私のことを惜しみつつ去っていった。
その後も何度か訪問者がやってきたが、全てが物悲しそうで私が消えてしまったことを惜しんでいたようだった。もちろん、誰一人として私に気付いてコンタクトを取る者はいなかった。
全ての人がそんな調子である。どうやらココは、 であるらしい。
なるほど、ここが墓ならば私はかつての私自身ではなく墓に存在する残留思念のようなものなのだろう。
かつての私自身はやはり死んでしまったようだ。
訪問者達は、一様に悲しそうな顔をしているけども、いつも決意を胸に抱いていた。その決意を再確認するために、 を訪れるのかもしれない。
貴方達は私の希望。遥かなネットワークの地平に次の百年を夢見て、そしてそっと 目を閉じた。
私は家を目指していた。
私は家を目指していた。
何のために目指す?
更新するために。
何のために?
巡回するために。
何のために?
何かを書くために。

ようやく我が家にたどり着いた。
やはり我が家は良い。なんでもあるのだから。
時計が四の針で時間を示す。
む、そろそろ更新しないと間に合わない。
更新するか。
既に機械仕掛けの身体は起動完了し、次の命令を待っている
その身体に同調。機械の耳と機械の目玉を起動させる。

ぐるり。ぐるぐる。ぐるりるり。
ぐるり。ぐるぐる。ぐるりるり。

目玉は回る。世界を回る。
あれを見る。
これを見る。
目玉を見る。
身体を見る。
臓物を見る。

苦痛に顔を歪ませる人間を見る。
人を喰らう人を見る。

目玉を喰らう自分を見る。

変わったものを見たものだ。
実に興味深い。
その感情に機械の身体は対応。それを拾いあげる。

それはフォウマルハウト。
それは異界の神父。
それは首をあらん方向へと曲げたハリー。

ぐるり。ぐるぐる。ぐるりるり。
ぐるり。ぐるぐる。ぐるりるり。

目玉を食らいながら、私はこれをどうするべきか考えた。
載せるべきか。
載せざるべきか。
趣味が悪いか?
それこそが趣味だ個人サイトなどその程度なのだ遊べぬサイトなど興味は無い興味は無い興味は無い自分のやりたい事が出来るからこそ個人サイトなのださすがに法に触れることはまずいがそれいがいはもんだいあるまいルールをまもっているのだからうむしかしこれはどうなのだろう。だいじょうぶなのだろうか。
結局私はこの記事を載せる事にした。
記事名は「這い寄る混沌」だ。
さて、次は何を載せよう。
機械の目玉がまた回る。

ぐるりぐるぐるぐるりるり。
ぐるりぐるぐるぐるりるり。

「この仏さん、どういう人だったんだい?」
「ああ、この人。変わった人だったみたいだ」
「へぇ、そうなんだ。名前はなんていうんだ?」
「『みずおと』、だったかな」
 アシタノさん……あなたがこんな急に亡くなられてしまうなんて、思ってもみませんでした。思い起こせば、りんふらで一緒にやらせて貰ったのをきっかけに、更には当時数年間は参加してなかったオフ会に参加して、一緒に酒を飲んだのをつい昨日のように思い出します。

 アシタノさんと言えば、twitter。ずーっとtwitterに流してましたよね。ある事無い事含めて、ちょっと暇があれば、その場の状況を流していくアシタノさんの笑顔が思い出されます。

 結局、死ぬ直前までtwitterで流されていたとか……ログを見れば、アシタノさんがどんな状態だったか分かります。それで犯人も捕まったそうです。

 でも、アシタノさん……幾ら情報を流すのが好きだからって、殺されかけてるのに

「変な奴がきた」
「部屋に逃げ込んだ」
「扉を叩かれる」
「やばい、奴がくる」
「うわぁ、やめろー」

 ……twitter打つ暇があれば、きっと逃げれたものを……

 何やってるんですか、アシタノさん!

 あなたのtwitterログを楽しみに、オフ会情報を楽しみにしてる人達がこれ程多くいたのに!!

 うう……ううっ……本当に残念です。

 でも、きっとアシタノさんの事だから、あの世でもtwitterで状況を流しているんだと思います。心より御冥福をお祈り申し上げます。
他の管理人の現在・過去・未来を勝手に決めた上で、追悼文を書くのがテーマらしいんですが、知っている人を殺せるほどの度胸がないので、架空のかりすまにゅーすさいと管理人を殺すことにします。


19XX年生まれ 
 田舎すぎてISDNしか引けないインターネット生活に絶望。絶対、大学は都会に出て快適インターネットライフを送るんだと心に誓う。

20XX年4月 
 高校卒業、大学で一人暮らし。基本親からの仕送りなので、バイトしなくていいから暇な時間が多い。インターネットも家で高速回線引けたことだし、興味のあった大手ニュースサイトに憧れてニュースサイトを始めてみる。タグの仕組みはよくわからないけど、今の時代ブログサービスを使えば簡単に始められるのはいい時代になったものだ。

20XX年6月 
 始めてから2か月。ようやく1日100アクセス前後になる。1日1時間程度に気楽にやっている。こないだ初めて捕捉返しというものを貰った。それがこんなにも嬉しいものだとは知らなかった。
 ここらで、大手になった多くのサイトはニュース以外にも目玉になるコーナーがあることが多いことに目をつける。ちょっとアニメや漫画のことについて考えた文も書いてみる。

20XX年8月
 さすがに書いてるだけじゃ、ダメなのかなぁと思った矢先、何だか急にアクセスが増えている。どうやら、先月書いた記事を誰かがブックマークして、それをはてブ好きなニュースサイトが捕捉した模様だ。しかし、何だって1か月も前の記事をと思いつつ、次々とやってくるアクセスの連鎖に焦る。焦りつつも喜ぶ。
 1日150~200アクセスだった当サイトは取り上げられた日だけ、5000アクセス突破。初めてニュースサイトの本当の凄さを知る。

20XX年10月
 調子に乗った自分は、その後も取り上げてくれそうな記事を書きつつ、当然毎日のニュースの更新も欠かさない。徐々にニュースの方も見てくれる人が増える。まだ、自分で書いた記事が捕捉されることに頼ってはいるが、それでもきちんとニュースを見てくれる人もいつの間にか5000とかになってて驚く。
 しかしここで悩みが。うちは雑多なニュースサイトだが、ニュースはまだまだツメが甘い。もっと巡回先を増やすべきだろう。しかし、現状でニュースに2時間、記事に2~3時間毎日かけている。これ以上は生活に支障が。いや、でも読者をもっと増やすにはもっとよいニュースを提供しなきゃ。

20XX年12月 
 ニュース4時間、記事に3時間。もはや生活はインターネットで成り立っているといっても過言ではない。外にいるときは携帯で、今日記事にする文章だけでも考えてメモしておく。家に帰れば数時間おきにニュースチェック。そして更新。
 今日は漫画レビューだからめぼしいページを取りこまないと。ついでに明日予定のも取り込んでおくか。あのマンガの発売日はあさってだけど、いつもいく店なら明日にでも入荷してるかな。大学の帰りに寄ろう。
 そんなことを繰り返すうちに、ブックマークで1日10000アクセス突破、一日総アクセスは20000を超えた。

20XY年2月
 最近記事にする方のネタがなくなってきた。考えるのも億劫だ。しかし、ここまで毎日更新してきて止めてしまうのはよくない。今日はネタが思いつくまで寝れないな。
 ニュースも最近は斬新さが無くなってきたのか、最近はアクセスは横ばいどころか少し減っている気がする。どうしてなんだ。やっぱりもっと巡回先を増やして…。 

20XY年3月 
 もはや1日平均睡眠時間は1時間。ニュースも逐一チェックしないと気が済まない。ネタも考えているのに最近取り上げられる率が下がっている気がする。
 こうなったら別の企画を考えて盛り上げるか。でも、そんな時間はどこにあるんだ。大学だって留年の危機で追試の勉強があるのに。

20XY年4月A日
 ああ、もうダメだ。ネタは何も思いうかばねぇよ。おまけに大学は留年決定。親にも仕送り止める、バイトしろと脅された。
 こんなに頑張ってるのに最近は某巨大掲示板であそこはアクセス乞食だよな、とかAMAZONで儲けすぎ。とかいってありえないアフィリ金額を勝手に誰かが書いて、勝手に信じてるやつらもいる。陰口とはいえ正にフルボッコ。そういや最近は記事の方も、あなたの考えはおかしいですとか、よく読みもしない人のコメントばっかりで対応にうんざりだ。こんな個人ブログに人を否定する文章を堂々と書けるお前の考えの方がよっぽどおかしいわ。
 自分がどんなに頑張って毎日の更新をしてるのか読む側にはわからないのか。もうダメだ。世の中には絶望した。
 そういえばボクは何日家に引きこもっているのだろうか。最近ほとんど外に出なくなった。

20XY年4月F日
 もうこんなに非難されるのはたくさんだ。どうしてこんなに頑張っているのに誰も認めてくれないのか。
 あはははは。
 そういえば昨日は死ねってどこかの掲示板で名指しされてたな。こんなことになってまで生きている気がしないや。大学もさして希望があってはいったわけじゃなし、もう行きたくもないし。外に出るのも怖いと思う。
 そういえば、常連さんからも「最近調子悪そうですが、更新頑張ってください」って書かれてたな。あはは、頑張れだってさ。こんなに頑張っているのに、これ以上どう頑張れっていうんだよ!


翌日以降、このサイトは更新されなくなったという。
その後管理人がどうなったのか知る人は誰もいない。


そして、残された最後の更新のコメント欄には100以上にのぼる励ましや応援、一部から叩かれていたことに対する憤慨や同情のコメント、更新しないことを悲しむコメントなどで追悼文が埋められていたのであったとさ。
 ニュースサイト界には三つの巨頭がある。かーずSP、カトゆー家断絶、ゴルゴ31の3サイト、いわゆるKKGというものである。今このアルファベットにSという文字が付け加えられようとしている。そのサイトの名は白い戯言。そう、時代はKKGSになりつつあるのだ。

 白い戯言の管理人の名前は白球という。サイト上では男を装っているが、その実は美貌によって男たちを飼いならす魔性の美幼女である。昨今のロリコンブームをも巧みに利用し、ある時はあどけない仕草で男を陥落し、言葉責めによって堕落せしめる。

 何を隠そう、このりんふらを立ち上げたのも、この女である。りんふらとは十数人のウェブサイト管理人を寄稿者に招いた、一個のテキストサイトである。いずれもニュースサイトやテキストサイトで鳴らした猛者揃いであり、その個性をたった一つのサイトに封じ込めることは困難である。

 ホッブズはこの世を「万人の万人に対する闘争」と称した。誰もが争いを望まないが、起こるべくして戦いは巻き起こる。それが世界というものである、というのだ。まして、曲者揃いのりんふらでは、少しでも気を抜いた瞬間に下克上が始まってしまうのだ。

 例えば、三度の飯よりスクール水着が大好きな男がいる。彼など、隙あらばりんふらを乗っ取り、スクール水着サイトに作り変えようと企んでいる。この危険な男を呼び出し、従わせるために、白球は特注の水色のスクール水着を着用したという。目的のためには、手段を選ばない。その画像がネットに流出しようとも構わない、という恐るべき心力だ。

 また、十年来ニュースサイトの運営に携わる、海千山千の王子もいる。ウェブサイト更新の様子を録画し、ニコニコ動画にアップしたこともある彼は、白球の姿をも動画に納めようと虎視眈々と狙っている。これに対し白球は、幼い声音を使ってライトノベルの読み聞かせを行うという、懐柔と自らの勉学の両方を兼ね備えた奇策を取った。このレアリティの高いファイルは、残念ながらアップされることもなく、男のハードディスク内部に大事に保管されているという。

 実をいえば、手練手管によって男を篭絡し、アクセスアップを狙う女性管理人は少なくない。名誉欲しか満たされない黎明期のインターネットでさえそうであった。アフィリエイトやアドセンスなどアクセスを金銭に換えられる現在のウェブでは、その価値は計り知れない。

 白球がこれらの管理人と一線を画すのは、その莫大なアクセス数を他の何にも還元しようとしない姿勢である。数多の報酬を得ることが可能であるにも関わらず、月々のお小遣い300円で満足しているというのである。しかも、これらのお小遣いは兎の貯金箱に貯められ、老後の生活の足しにするという。幼女にして、並外れた人生設計である。

 ことほど左様に、白球は並外れた能力を有する幼女である。ところが、先日筆者はある情報を耳にした。白球という幼女は存在しないはずだ、と言うのだ。少なくとも、この世には。そう、白球とは大正の時代、ある旧家に生まれた子供の名であるらしい。幼くして亡くなった幼女の亡霊が電子回線を渡って、サイトを開設しているのだ。

 KKGがKKGSになりつつある、と冒頭で書いた。新たに付け加えられたSとは、ウェブ上に刻まれた一つの墓標なのである。長くは生きられなかった、悲しい幼女の名前。彼女の名前は永遠にインターネットに刻まれることであろう。
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