Lingua furanca.

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
多くのサイト管理人が集まり、ジャンルも問わず、毎回毎回好き勝手にお題を設定しテキストを書いていった。何を目指し、何を求め、何のために行っていたのだろう。考えに考えてあるひとつの結論に私はたどり着いた。以下に記すのは私の完全なる妄想である。付き合える覚悟のある者だけついてきてほしい。
とかまあ大仰に書いたところでいつものテンションに戻りますよ。ネタっぽくも真実はここにあり!みたいな文章を書くのが好きなので今回もそんな文章になっております。読者の方は深読みして深読みして「なるほどそういうことか!」と勘違いしていただけたらこれ幸い(してやったり!)です。

結論から書きますと、りんふらは「白球さんによる『混沌とするインターネット界の統一』を目指す運動」の先駆けとして発表されたものに過ぎない。と、不肖やくろは思っております。
白球さんはインターネットをとても愛しており(2次>>3次という考えをお持ちである点から推測した。またニュースサイトを毎日更新することから)毎日毎日たくましくも勇敢にこの荒波を泳いでいるのだろう。荒波を泳いでいると色んな情報が頭の中に洪水のように流れ込んでくる。情報には当然良い情報と悪い情報が存在する。それにずっと触れてきた白球さんはふとこう考えたに違いない。
白球「インターネットは楽しさもあれば恐怖もある。メリットがあればデメリットがある。それはインターネットがまだ過渡状態にあり、安定な世界を供給できていないからだ。このままではインターネットは終わる。誰かがこのインターネット世界を統一し、平和な世界を築く必要がある。」と。
あくまでも私の妄想で白球さんから言質をとったわけではなく、もしかすると「なんかやってみたくなったからやりました!」という曖昧な理由からだったのかもしれないが、個人的にはこの考えは当たらずも遠からずという妙な自信がある。つまり自分でいうのもなんだが良い線いっていると思うのだ。少なくともりんふらが「何かの先駆け」であることは間違いないと思う。完了形の前の完成形って奴だ。だからこそ、最初に述べたようにりんふらは「自由」だったのだろう。だからこそ、何を目指し、何を求め、何のために行っていたのかが分からなかったのだろう。なぜならその答を見つけるための手段がりんふらだったのだから。

さてさて、あまり長いお話になってもつまらないので軽くまとめてしめることにする。
「Lingua furancaとは結局なんだったのだろう」という疑問に対する明確な答は発起人ではない私には用意することが出来ない。だが参加者の立場として答となりうるものを挙げさせてもらうならば「インターネット統一に向けての数ある手段のうちのひとつ」と述べさせていただきましょう。
りんふらが「Project::Logistica.」に多大に影響されて出来たように、今後りんふらを触媒とした素晴らしいサイトが出来るのに私は期待している。なぜならりんふらは一つの形を示せたとそう思うからである。

最後に一言どうしても書かねばならないことがある。
「Lingua furanca.のお題を1順して」というテーマを与えられたならばこれだけは絶対に必須な言葉だ。

白球さん、ありがとう。そしてごめんなさい。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。