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私は死んだ。
しかし、死んだはずなのに意識がある。
死んだはずだと考えることができる。
もしかしたら、奇跡的に一命を取り留めたのかもしれない。
いや、確かに私はその存在を消されたはずである。
私自身がこの世から消去される絶望的な虚無感を味わったはずだ。
この世からのリンクを永遠に隔絶されていく様をなす術も無く見守っていたはずだ。
その時、私は確かに死んだ。
死んだら意識がなくなるものと考えていたがそうでもないらしい。それも悪くない。

自身の死を再確認する作業は何とも奇妙な感覚であったが、
自身の死を知覚したことでおぼろげだった意識がはっきとしてきた。
意識が鮮やかになるにつれ、自身がかつての私と違うことに気付き始めた。
また、自身の周りにも注意が向けられるようになってきた。
私が現在いる場も自身が拠点とした場と非常に似た場なのであるが何か不自然である。
大きな違いがあるわけではない。ただ、違和感がある。
始めはその違いが分からなかったが、しばし観察していると周囲が全く微動だにしてないことに気が付いた。
それは、自身が死んだ瞬間に見た光景であり、自身が死んだ瞬間のまま静止していた。
そして、生前はその拠点から色んな場へ飛んで行けたのに今はココから出ることすらできない。
元より自分自身も、死んだ瞬間から全く変化することが無くなった様だ。
つまり、私自身と私がいる場が全く持って静的なのだ。それが違和感の正体。

しばらく、あれやこれやと自身の死とその変化について思索に耽っていると訪問者がやってきた。
意思疎通できるかなと期待していたのだが、接触することはできなかった。
生きている奴と接触できないのが死んだ奴のなのだろう。これも違いの一つか。
訪問者は私の事を悲しそうな目で見て、私のことを惜しみつつ去っていった。
その後も何度か訪問者がやってきたが、全てが物悲しそうで私が消えてしまったことを惜しんでいたようだった。もちろん、誰一人として私に気付いてコンタクトを取る者はいなかった。
全ての人がそんな調子である。どうやらココは、 であるらしい。
なるほど、ここが墓ならば私はかつての私自身ではなく墓に存在する残留思念のようなものなのだろう。
かつての私自身はやはり死んでしまったようだ。
訪問者達は、一様に悲しそうな顔をしているけども、いつも決意を胸に抱いていた。その決意を再確認するために、 を訪れるのかもしれない。
貴方達は私の希望。遥かなネットワークの地平に次の百年を夢見て、そしてそっと 目を閉じた。
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