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Lingua furanca.

とある町のカウンターに、私はいた。
オープンしたのが4月。そして今は雪が降りしきる12月。その頃には一時閉店するという話を最初から聞いていたが、いざその時になるとえもいわれぬ寂しさがこみあげてくるものだ。
ここは色々な酒を出してくれた。時には非常に不思議な味出会うこともあった。時には舌鼓を打って毎日飲みに行ってしまうものもあった。
そんな中に、自分の考えたカクテルも提案したことがあった。
自己満足的においしいこともあれば、周りの客が不思議そうな顔をしていることもあった。それらも全部含めて、面白いものだった。
そして、私は、おそらくこの店で最後になるであろう酒に手をかけた。

「お客さん、なんだか湿っぽい顔していますね。」マスターは言った。
「あ、ああ。」不意を付かれた私は答えた「まあ、この店が一旦閉じると聞いたらね。」
「ありがたいことを言ってくれますね。」マスターは微笑んだ。
私は、マスターの笑みにちょっと妙なものを感じた。
「マスター、あんたが一番寂しいだろう?まあいつか再開するかもしれないとはいえ、一時的に閉じちゃうんだろ?」
「前から決まっていたことですからね。それに、わたしゃあ思い出に浸るっていう柄じゃあない。」マスターは突然新しいグラスを出し、そこになみなみとジンをついで肩をすくめた。「乾杯。」
「へ、あ、かんぱい。」私はマスターの差し出してきたグラスに自分のコップを近づけた。マスターはそうして、自分でそのワインをぐいぐいと飲み干した。「たまにはそのまま飲むのが好きなんですよ。」
「カクテルが得意だっていうのに、よくいうよ。」私は軽くあきれながら笑った。そんな気さくなところも彼らしい。
 
「色々な出来事がここを行き来したんじゃないかい。思わぬ客が来たり、思わぬメニューが出来上がっちゃったり。」私は自分の飲んでいるお酒の味の感覚に頭をぐらつかせながら、言った。「これなんだかしょっぱくないか?」
「それも味ってやつですよ。結構くせになるんですよ。」マスターは赤ら顔で言った。そんな酔った状態で言われても納得はいかないが、しかし説得力はあった。彼がそれだけたくさんのものをここで出してきたからだ。
「ふーん。まあ、あれだな。」私は言った。「面白いな。」
「でしょう。面白い。」マスターはグラスを鳴らしながら言った。
「んで、マスターは満足はしたのかい?この8ヶ月で、色々なメニューを出してさ。色々な客にお酒を出してさ。本当に満足したのかい?」
「満足っていうのは、どの状態でしょうね。」マスターはグラスに二杯目を注ぎながら私の方を向いた。なんだか鼻が赤い。
「そりゃ・・・そうだなあ。自分の中で及第点かとか、できるだけのことはやったか、とか。」私は言いながら、なんだか分からなくなってきた。
満ちて、足りる。もしかしたらそれは円のような状態かもしれない。しかし100%が必ずしも満足とは限らない。
「このグラスを、お客様の舌を満足させる状態というのは、」マスターはグラスに新しいカクテルを注ぎ始めた「このくらいでしょうか。それともこれくらいでしょうか。」
マスターは、8分目まで入れたグラスと、なみなみあふれそうなほどに注いだグラスを並べた。
「多けりゃいいってものじゃ、ないだろう?それじゃあふれちまう。」私は言った。
「その通りだとわたしも思いますよ。なら、コップを大きくすればいい。」マスターは大きなグラスにあふれそうなカクテルを移した。「これは、満足でしょうか。」
「いや、違う、なんだろう、」私は分からなくなってきて、首をひねった。
「わたしは、器の大きさも、酒の量も、二の次だと思います。もし『満足』という言葉を使うのなら、それは味の質をささなければいけない。」
「ああ、そうか、そうだな。」
「ならば、お客様全員100%が満足する味はあるのかと、わたしゃ悩みました。結論としては、ないです。」マスターは目を細めながらいたずらっぽく微笑んだ。「いやあ、なんとも情けない話ですがね。しかし好みも違えば、日々味の変わっていくものが相手、完璧にはほど遠い。」
「なら、マスターは今まで満足していなかったってのか。そんなんで一時的に店を閉じて、それで心残りはないのか?出来るまで続けたいと思わないのか?」私はマスターに問いかけた。それはマスターへの問いかけであると同時に、自分への問いかけでもあるように感じられた。
「器を大きくすること自体には意味はないんですよ。しかし、わたしゃ日々楽しんでいた。お客様の中には喜んでくれる人も、時には好みが合わなく首をかしげる人もいた。だけどここに店があって、色々な人が行きかった。質は完璧にはならなくても、それを目指そうと試みた。まあ実際は5%くらいかもしれませんね。ただ、ここに集い、語り、飲んだこと。それに後悔はありません。」マスターは私のグラスにビールを注いだ。
「そうか。」私はビールの入ったグラスを持ち上げた。「なら。私もここにきたことを後悔はしていない。」
「またおいしいものを作るためになら、時間や場所は違うかもしれないけど、やるつもりです。100%は出来なくても、目標は高く。肩の力はゆるく。」マスターは自分のグラスにもビールを注いだ。「これは、器が大きくて量が多いと、ちょっとうれしいですね。」
「まったくだな。」私は彼の言いたいことが、ぼんやりと熱病のような頭に溶け込んできたような気がした。
「乾杯。」
「乾杯。」
私とマスターはグラスを鳴らした。
「まあ、美味しいこともあったよ。後悔はしていないよ。もし、どこかで、また満足するために新しいカクテルに挑むのなら、またこっちも挑んでやる。」
「いつか、またどこかで。」マスターはその瞳を細めながら、視線を確かにこちらに向けて、言った。
 
BAR「Lingua furanca.」。
ここですれ違った人たちは、どこへ行くのだろうか。またどこかで集いあうのだろうか、それともそれぞれバラバラの生活に戻るのだろうか。
だが、私はここでマスターに出会い、様々な人と酒をくみかわしたことを、きっと忘れないと思う。
100%の味に出会えたかは分からないけれど、楽しく過ごした時間に後悔は、ない。
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