Lingua furanca.

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
どもども。前回のお題では見事に私だけ空気を読まずににストレートに書いてしまいました、てへへ。というわけで、今回はなるべく軽妙な語り口で書いちゃいます。なんといってもワシの文体は108式まであなんでもありません。

良いのか悪いのかは分かりませんので、なるべくいつも通りに書くことにします。さてさて、今回のお題「今のサイトを作った理由」。この話をしましょう。私はね、とあるサイトにすごく憧れていたんです。

そのサイトの名を「ネギま!で遊ぶ」という。

マガジンに今も好評連載中の「魔法先生ネギま!」のファンサイトです(今は活動停止中)。
ちなみにURLはこちら>http://t3303.ifdef.jp/negima.html

2005年にもっとも勢いのあったネギまファンサイトだったと思っています。毎週書き下ろされる鋭い考察、新たな視点をもたらしてくれる文章に出会える事は至福であり、毎週「ネギま!」を読みネギま!で遊ぶの記事を読んだ後、そして再び「ネギま!」を読む(笑)。これが毎週の楽しみでした。

さて、少し話を変えてちょっと小難しい話をします。

世の中には色々な学問があります。数学やら天文学やら心理学やら、多種に渡っています。その学問の中の一つに「認知心理学」というものがあります。その認知心理学では人間の頭の中には「認知構造」っていうものがあると考えられてて、その構造によって一見同じ情報でも得られる情報は全く変わってくるといわれています(浅学ですので、あまり厳しいツッコミは勘弁(笑))。

まぁ、例を挙げれば車のボンネットがそう。車の技術者は車のボンネットを開けて、中を確認するだけで車の状態を把握することができます。けど、小学生なんかは例え車のボンネットを開けても車の状態などは分からないでしょう。じゃあ、小学生と車の技術者の違いって何?というと「認知構造」が違うから、となります。

つまり、その人の知識の量(認知構造)によって、何が分かるかは全然違ってくるんです。

それは「ネギま!」の読み方でもどんな物事でも、もちろん一緒。そして、「ネギま!で遊ぶ」の記事は自分の知識をガシガシ打ち壊し、ドンドン新しいものに作り変える。そんなパワーに溢れる記事だったと思います。また、そうやって自分の中の考えが新しく組みかえられていくことは、とても気持ちが良かったのです。

この自分の考えが組みかわっていく喜び……つまり「新たな視点」を得られる快感が、後々の自分のサイト作りの根本的な動機だったのだろうと思います。今のブログ、「アセティック・シルバー」はそういった「新しい視点を自分も他人に提供できたらいいなぁ……(〃ノωノ) キャッ」という想いの元に作られたブログです。

ただそれはとても難しいことで、そして実は自分を試す行為でもあります。

例えばネギま!で「こういう読み方すると面白い」って事を伝えたいと思って、ブログに記事を書いたとしましょう。『今週はこういう読み方ができるね、実は明日菜の鈴は除夜の鐘だったんだよって考えられるんじゃない?』と書いたとしましょうとも。ええ。

そして、自分の書いたこの記事を最高に面白いと思っていたとしましょう。
自分ではどっからどうみても面白いんです。

でもね。

その内容が本当に面白いかどうかを決めるのは自分じゃない。
いつだってその記事を読んだ他の人なんです。

自分が最高に面白い話だと思って書いたとしても、他の人にとっては全然面白くもなんともない記事である可能性は、決してゼロじゃない。むしろ、書き手のレベルが低ければ低いほど、その可能性は高くなる。もちろん「面白い!」と言ってくれる人は中には居るでしょうとも。でもそれは多くの人間に本当に面白いのかどうか試されて、その上でなおかつ大多数が「面白いよ」と認めてくれない限りは、ホンモノじゃないんです。

漫画なんかは分かりやすい例ですよね。アマチュア作家が自分の中で「傑作だ!」と思い、周囲の人間に見せても「これ、面白いよ!」と言ってくれたとしましょう。ところが実際に雑誌社に持ち込み、漫画の専門家たる編集者に見せたところ『なんだこの作品は。ちっとも面白くない。そうか、お前はウ○コだ。いや、ウン○だ。それともウコンなのか?』と、言われたり……。(別に体験談とかではない)
逆に作家本人は面白くない、と思っていても読者からは大反響という事だってあるでしょう。

面白いものは、中身が良いから大勢の人が「面白い」と認めるんじゃない。
「面白い」と大勢の人たちが認めるから、中身が良いと言えるんです。

第一回のお題の記事にて「ネットの情報は常に選別させられているのだ。」と書きました。実はそれだけじゃなくて、ネット上の記事は全世界の大勢の目に晒され、そして多くの人達に常に試されています。

試され続け、評価され続け、その上で多くの人間から「面白い!」といわれていたサイト……。
それが私にとって『ネギま!で遊ぶ』というサイトなんです。
 
なので、私にとってはある種の理想。
でも、理想ばかり見てると理想を抱いて溺なんでもありません。

ただ、ネットでは記事(ページ)が人に見られる条件は「リンクを張られる事」である以上、サイト主との関係性が大事になってくる訳で。大勢の人に常に見られる広告の仕方やら色々絡んでくるので、単純化したこの話がネットの真実だとは思いません。ネットはそんなに単純じゃないっす。カオスですよカオス。
これは一つのものの見方、という事です。

省みて、自分のブログを見てみると、日に100ヒットという実にしょっぱい状況なので、どうやら道のりは遠そうです。まだまだ僕の書くことは面白くないらしいぜ、ネットの住民にとっては……。もっと研鑽を積まないと、認めてもらえないみたい。

今日も理想を目指して勉強する次第でありますよ。
私の記事でみなさんの「認知構造」が変化することを願って。
スポンサーサイト












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://linguafuranca.blog97.fc2.com/tb.php/26-2602106b

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。