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はい・いいえで答えて、自分の当てはまった作品をオススメします。
 
A・人のつながりを大切にするあなたへ。
羅川真里茂傑作集 僕から君へ




「ニューヨークニューヨーク」に収録されていた作品のと、ほかの短編をあわせた「田舎3部作」です。
いきなり最初から、友人とも敵ともいえないような夏己が死んだところから始まるんですよ。急に「死んだ」という連絡が、しかも主人公であるひろむひとりにだけくるんです。
それが本当に親しい友人ならばともかく、ちゃらんぽらんで、自分の大事なものをめちゃくちゃにしたこともあり、心のどこかで猛烈な不信感と敵対心を抱いていたような、そんなやつなんですよ。
なぜか連絡がついたのが、そいつの愛人として一緒に住んでいた女性と彼一人。
なぜぼくなんだ?
なぜほかにいないんだ?
たくさんの疑問と、過去の怒りと、…そして過去に彼と過ごした日々のことが走馬灯のように…いや、陳腐ですね、どちらかというとロードムービーを早送りするように流れていきます。
仲よくしてくれたと思ったら、あっさりと見捨てる、そんな薄情な小学生だったあいつ。
勉強きらいだったが、一緒に勉強してがんばろうよ!と二人でがんばっていたのに、あっさり高校受験をやめた中学生だったあいつ。
彼女ができてからもダラダラと部屋にあがりこみ、その彼女の気持ちを持っていってしまったあいつ。
激しい怒りがわき、理解できないあいつの気持ちを思い出すたびに、彼の心の中でようやく、夏己の存在が読者側にも浮かび上がってくるんですよ。
特に親友だと思っていなかった人、名前を言われないと忘れてしまっている人。誰しもいると思います。時にはその人を恨み、嫉妬し、憎んだかもしれません。
しかし、そういう人の中に、自分にとってものすごく大切だった存在があるんです。誰かに対するすべての感情は、その人が自分にとって大切だったという理由だから。
「僕から君へ」。そのつたない詩にこめられた本当の意味を、ぜひ自分の思い出と重ね合わせて読んでみてほしいのです。
この本に収録されている「東京少年物語」「がんばってや」も非常にすばらしい「人間のつながり」を感じさせる物語です。田舎を舞台にしていますが、別に「田舎サイコウ」というノリではなく、田舎だからこそ生まれたかけがえのない人のつながりを描いています。
3作品とも「友情?なんかそんなの恥ずかしいよ」と口走ってしまう、そんな人にこそ読んでほしい作品なのです。
 
B・子供のころに力いっぱい夢へ突き進めると信じていたあなたへ。
あさりよしとお「なつのロケット」




「小学生だからむりだよ。」
そんなことを考える大人になったのはいつからだろう?
自分はその頃、無限に広がる宇宙について考え、地下に眠る太古に憧れ、どこまでも広がる空と海の向こう側を夢想し、虹がかかったその向こう側を探しに行こうと本気に思っていました。
穴を掘れば新しい恐竜に出会えると信じて、スコップで人が落っこちるほど穴を本気で掘り、埋めさせられたものです。
物語は藤根先生が科学の面白さを伝え、それに乗じて北山くんが「ロケットつくろうぜ!」というたわいのない小学生の発想からはじまります。爆薬をつめて、下から噴出させれば飛ぶだろ?ほら、ぼくらにもできるじゃないか。
しかしそれは塩素ガスを撒き散らし、ロケットも四散する危険なものでした。小学生の北山にはそこまで思考が働かなかったんですよ。
飛ばないロケット。それははじめての挫折でもありました。
藤根先生の思想は「本当の意味での、科学」でした。危険を理解したうえで、本当の意味で興味を持つことの楽しさ。夢?幻想?受験には関係ない?いいじゃないか、夢を持って何が悪い、それが科学じゃないか。
北山はそんな藤根先生に応じるようにロケットに没頭します。しかしそれは形だけの「飛べばいいな」レベルのもの。
それにぶつけてくるかのように、なぞの転校生三浦が「過程なんて何の意味もない、逆に必要な事ならなんでもやってやる」と挑戦状を叩きつけます。
二人の夢は…見据えるものは…。ロケットは「飛べばいい」の?君たちのロケットは、どこに向かってうつんだい?
科学は夢をつぶすための物じゃない。科学は夢をかなえるためのものです。子供の頃のそれはただの夢想かもしれないけれど、その夢想を持ち続けて現在でもロケットを飛ばし、ロボットを歩行させ、世界をつなぐ通信をつくっている大人たちがいるのです。
「まんがサイエンス」のロケットの項とあわせて読むと、ロケット科学の入門にもなるほど詳しい本作。
先生の行く末や、三浦くんの存在、ラストシーンなど読者に考える余地も与えられます。それをみてどう感じるでしょうか。夢見て胸ときめかせていたあの頃のことが、決してただの夢ではないことをぜひこのマンガを読んで感じ取ってください。
 
関連・研究報告11 なつのロケットは本当に飛ぶか!?
 
C・この世界と人間を信じられなかった子供だったあなたへ。
浅野いにお「虹ヶ原ホログラフ」



この世界なんて、何も信じられるものはない。自分の存在なんて明日にだって飛び降りて消えてしまうのさ。
僕らはおかしな世界に住んでいる。なぜ僕が生きているのか、意味なんてあるんだろうか?
時として大人でもぶつかるこれらの問題。小中学生の頃に出会ってしまい、混沌とした心を抱えた人も多いのではないでしょうか。
この作品は時間軸が交錯しつづけます。青年時代の自分と、小学生時代の自分です。多くの登場人物が登場しますが、彼らは自分の運命や歪みに向かい合いながら、耐え切れないほどの世界のくだらなさを見ることになります。
いじめに「問題」なんてつけたのは大人なんですよね。「いじめる」ことはそんなに簡単なことじゃない。教師が悪いというけれど、教師も人間としてぎりぎりのラインで生きているし、いじめる側も歪みの中で暮らしているんだということが痛烈に描きこまれていきます。
しかし、そこにある空間と価値観のゆがみは、多くの人を取り込んで責めさいなむことになります。
主人公はめがねをかけた少年鈴木。自分の価値なんて微塵も感じず、世界の価値なんてどうでもよく、ただ日々がおかしな形のまま転がっていくのを傍観しています。
それに対し、自分の中の義を淡々と見据えるがゆえに世界からはずれてしまった小松崎。だからこそいじめる側だった彼も、あまりのはずれっぷりに気がつけば放浪する青年へと変化していきます。
この作品の中での「生」「死」の価値は、非常にさらりとした小川の流れのようでもあり、へどろのたまったどぶ川のようでもあります。
それを読んだとき、どのように感じるでしょうか。
子供のときに感じた歪み、大人になってから感じた歪み。それは無数のモンシロチョウにつつまれていきます。
彼らが住む虹ヶ原は、決して美しい町ではありません。しかし確かにそこで彼らは生きています。
モンシロチョウでいっぱいの、どろりとしたアメーバーのようなこの町はいつしか美しい夕暮れを迎えるのでしょうか。
大人になったからこそ読んでほしい、価値観なんて信じられない人のための物語です。
 
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いろいろ書きましたが、全部一冊完結でさくっと読めるので、機会があればぜひ読んでみてください!
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