Lingua furanca.

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 六つ目の素数、記念すべきりんふら十三回目のお題は、カラスさんから「インターネットが無くなるとき」だそうです。おそらく、小説形式は別の方が書くことでしょうし、面白いネタも思いつきません。そういうわけなので、ごく真面目に四つの観点で書いてみることにします。それは個人的なメリットとデメリット、社会的なメリットとデメリットの四つです。

 まず、個人的なメリットは、自由になる時間が増えるということです。りんふらの他のメンバーのほとんどはニュースサイトの方々です。彼らは毎日膨大な量の記事を読んで、それをリンクしております。それに比べれば、管理人としての僕の労力は微々たるものです。僕の作業は、週に二回ほど2chのスレッドをまとめるだけなのですから。

 しかし、一つのスレッドをまとめるのに、実は最低でも二時間はかかっています。どれだけ急いでも、むしろ急げば急ぐほど時間はかかります。レスを選ぶのに迷うスレッドの場合、一つのレスを載せたり消したり繰り返すこともあります。途中までまとめて、放棄してしまうことも珍しくありません。そんなことをやっていると、三時間でも四時間でもかかってしまうものです。

 全てが順調に行く日もあれば、ずるずると長引いてしまう日もありますが、おそらく平均して週に六時間くらいは使っているでしょう。これに4をかけて、月を単位に考えてみますと、ちょうど一日分になる計算です。もし、インターネットがなくなったとすると、月に一日休暇が増えるということなのです。

 次に、個人的なデメリットですが、それは基礎的な情報にかかるコストが跳ね上がるということです。インターネットがある現在でも、深い洞察や詳しい知識を得るには書籍を買うことが一番です。もちろん、インターネット上でも価値の高い情報を仕入れることは可能ですが、分散した情報を検索する手間や裏を取る時間を考えると、結果的には書籍の方が手早いものです。

 しかし、そういったお金を払ってでも手に入れたいほどの専門的な知識でなくとも、知りたいことはあるわけです。例えば、「的を得る」と「的を射る」はどっちが正しかったろうか。「犬も歩けば棒に当たる」の棒とは良いことを意味するのか、悪いことを意味するのか。ドラゴンフルーツの原産地はどこなのか。

 これらの知識は辞書を買って調べることもできますし、実際にインターネット以前はそれが主流でもありました。しかし、今では分からないことがあれば、googleを始めとする検索サイトで調べてみれば、すぐに答えを見つけることができます。たまたま自分が知らないことでも、大勢の他人が知っていることであれば、正確な答えを得ることができるわけです。

 もし、仮にインターネットがなくなってしまえば、これらの知識に対してもコストがかかるようになります。何か書き物をする際には、必ず手元に辞典や辞書を幾つも揃える。昔はそれが当たり前だったのですけど、今その生活に戻ることを想像するとぞっとしません。

 三番目の社会的なメリットとは、情報流出など不測の事態が起きた場合、その被害までもが迅速に広がってしまうことです。インターネットはデータの移動と複製を未だかつてないほど、容易にしています。指を一本動かすだけで、同一のファイルを無数に生み出すことができるのです。

 また、それらの情報は回線を通じて波及していきますから、流出した情報を回収することや削除することは事実上不可能です。例えば、ケツ毛バーガー程度の事件なら、個人の不幸と考えることも可能です。しかし、自治体の住民情報や自衛隊の配備情報の流出によってもたらされた損失はとてつもないものです。そして、もし、インターネットがなければ、これらの被害はより小さなものに留まっていた可能性が高いのです。

 最後に、社会的なデメリットは、情報を操作する主体が一部の営利企業に握られてしまうことです。電波を使って映像や音声を流すことは法律により禁止されていますし、新聞や出版物などを流通させることにも許可がいります。特に、テレビ局は事実上の寡占状態にあるわけです。

 これらは公共の器とは言われていますが、紛れもない営利企業です。彼らが自身の不利になるような情報を流すことは滅多にありません。例えば、インターネット以前には報道被害という単語はほとんど聞かれていませんでした。インターネットが登場し、誰もが情報を発信できるようになって、初めて報道によって被害を被る人間がいることがはっきりしたのです。こういった情報は一部の営利企業が情報の流通を握っている限り、決して表沙汰にはならないことでしょう。

 これらのメリットとデメリットを比べた場合、どちらがより大きくなるのか、僕には分かりません。おそらく、大局的に判断できるのは天上にいるものだけでしょう。ごく個人的には、デメリットもありますが、現在の状況を気に入っています。時間は削られていますし、誤操作で膨大な税金がつぎ込まれることもありますが、結構楽しいですよね。
■ケース1:世界中でインターネットが消えたとき。
やばい。

■ケース2:自分のみがインターネットが消えたとき。
暇。


これじゃ意味不明なので書き直し。


まずケース1。
これは上の一言で伝わると思うんですよ。
何せ世界中のネットワークが使えないということは、
今の世界ネットがないと何も出来ない人や会社なんていうのはザラにあるでしょう。
このことを考えると、原始時代的な場所に逆戻りするのとほぼ同じですよ。

そのような意味も込めて「やばい」の一言で済むと僕は考えます。


つぎにケース2。
実はこれ1~2週間くらい前に2日くらいだけど体験しました。
何故かというと内臓HDDが逝かれたから。PC使えなくて嘆いてました。
そのときはまだ一応学生の身分ということもあってか、
最初に思いついたことが「家のPCでレポート書けない!」という至極まともな発想でよかった。
ただニュースサイトをやってる身分としては「更新できない!」が後に来てしまったのはどうかなと思うが。

ということで使えなかった日々のことを考えると別に生きていけないわけではありません。
ただし、ネットが使えない…というか無くなることを考えると、
僕の中でのPC使用率がかなり低くなるため、はっきり言って別の目的を見つけないとかなり暇です。
実際やることが本当になくなったため、近くの本屋でぶらぶらしたり、
自発的にほとんどしない勉強までしてました。
あ、上の発言学生の身分としては最悪の発言ですね。

つまり言いたいことは、一個人がネットが使えないときは「暇」になる。
ただし、これは今現在の僕の場合に限るので他の人にいたってはそうではないと思います。


以上のことを考えるとネットが消えると、
その規模が大きくなるにつれて事の重大さが酷くなることが予想されます。
このことはあんまり想像したくないです。
しかし、ネットが消えるということは絶対あり得ないと言い切れることでもないです。

ネットが消えるという事の重大さは最悪のケースと考えていいでしょう。
それを加味すると何らかの対策を考慮した方がいいと僕は思います。
今回のお題は、「インターネットが無くなるとき」です。

(゜д゜)?
ネットがなくなる?

生きていけません!

BADEND

というのは早合点なのでどれだけ自分がネットに浸っているか思い出してみます。
まず朝起きてPCのスイッチを入れます。
(昔は24時間フル稼働でした。)
IRCに入り挨拶もそこそこに、まずは自分のサイトとかをチェック。
午前中は、特集記事のサイト更新をします。

お昼…
コンビニでテキトーにお昼を買ってきます。
それでニコニコやアニメ等を見つつ昼食をとります。(ここでもやはりPC)

午後…
一応webデザイナーの学校通っている(この原稿書いている日は卒業の日ですが)ので、
webサイト作成関連をかちゃかちゃとやっています。
というわけで、ネットがなくなったら


就職できません!

これは死活問題です(´Д`)
体力がない私に接客業や肉体労働なんて無理です!

夕方…夕飯を作ります!
レシピはネット等で検索しそれをコピペして携帯に転送します。
ここでもネットは貴重は存在です。

夜…ニュースサイトを更新します。
勿論ネットがないとなにもできません。

というわけで、私自身はネットがないと生きていけない人間なのですが、
数年前はネットがまだあまり普及していなかった事を考えるとネットの需要は凄いということがわかります。
そしてネット回線は渋滞となり、↓のような事態にもなりつつあるのです…。

ネットのヘビーユーザーへの追加課金が現実味を帯びてきました


ネットを全く使わなかったら、今頃何をしているんだろう…
そう考えると本当にどうなっていたか分かりませんね。
まあ多分…

エロゲー三昧の日々

になっていたに違いない!
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