Lingua furanca.

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第14回のお題は、「あなたが誇れるところ」です。
誇れるところ?
つまり…


自慢しろってことですか!?

無理です!(キッパリ
だってそうじゃないですか。自慢を堂々と書くなんてこと普通出来ませんよ。
って前回と同じでまた終わりそうになってしまいました。

じゃあ、あれですね。私の体質について話しましょう。
あ!いっておきますけど、これは嫌味ではないですよ。

皆さんは、1日ご飯をどれくらい食べますか?
好きなだけ食べますか?お金がないのでケチって減らしますか?太るのが気になって制限しますか?
私も金欠の時は、食事を減らして我慢していました。
中学生の時など、MTGのカード1パック買うのに毎回昼食抜きに…ってそれはどうでもいいんです。
問題は、太るから食事を制限するってことなんですが、


私はいくら食べても太らないんですよ

そういう体質なんです。
いくら食べようが、毎晩寝る前におかしを食べようが全く太りません!
よく「羨ましい」と云われますが、私にとってはこれが自然体なんです。
まあもっとも、ギャル曽根みたくはなりたくないですけど(;・∀・)
あ!体質で思い出しましたが、もう一つありました。
ほんと自分では当たり前だと思っている事が他の人に話すと驚かれるってことがあります。
それは…


生まれてから1度も虫歯になったことがないこと

歯医者には行った事がありますが、虫歯になった事はありません。
あと1度も歯磨き粉を使った事がありません!
全て歯ブラシのみです。
あんな何かも分からないものを口の中に入れたくはありませんよ!
どうやら虫歯にならないのも体質らしいのですが、歯周病にはなるらしいのでちゃんと歯磨きしないと
大変なことになるようです…。あと磨かないと汚いですしね。

こんな事が誇れるのかは不明です…。
私も学生時代には誇れるものがあった。
数学だ。

別にテストができるってわけじゃない。小学生の頃は国語の方が成績良かったし、中学では一度も満点取ったことがないことを今でも悔やんでいるし、高校でも1年の頃は満点じゃないことの方が多かった。でも、まわりからは数学のできる人って評価されていたし、自分でも数字だけなら絶対に負けないと思っていた。

そんな私が大学に入って最初に考えたことは、社会に出たら数学なんて誇っても仕方ない。別の誇れる何かを作り上げようってことだった。絶対に負けない武器を持った人がどれだけ強いかというのは、自分自身が一番良く知っている。だから、その武器が通用しなくなる社会に出ることが非常に怖かったのだ。

そこで私がターゲットにしたのがプログラミングだった。高校時代からプログラマになりたいって思っていたこともあり、趣味と実益が重なった感じだ。大学でプログラミングの講義は後期からだったけれど、入学してすぐに独学で勉強をはじめた。ライバルがいた方が楽しいと思って、情報系の大学に進んだ友人といつもその日に覚えたことを報告しあったりもした。今ならきっとブログに書いていただろうないけれど、当時の私はフリーソフトの公開を良くやったものだ。

そんな私が「T字型人間」という単語を知ったのは就職活動のときである。いくつかの会社説明会をまわっていた頃、理想の人材像としてこれが掲げている会社が多かったのだ。T字型人間とは、一つ長けている専門分野があり、それを軸に様々な分野に知識の広がりを持っている人のこと。確かにこんな人材ばかりいたら楽しいだろうし、素晴らしい会社になると思う。

今回のお題は「あなたが誇れるところ」。誇れるところ=誰にも負けない武器を持っている人は、強い。そして、魅力的だ。それを知ってもらうためのアピールタイムをしろということなのだろう。

さて、私の“今”の武器はなんだろう。

ネット上での私の武器はサイト論だと思っている。単に好きだから書いているし、好きだから集めている。でも、気がつけばそういう色がついていた。だから、自分の誇りにしてしまった。それで良いと思うし、誇りなんてそんなものだ。結局のところ、強くなれるくらいに自信を持てるものだったらなんでも誇って良いと思うのだ。

ネット以外での私の武器は、・・・ぜひ会って確かめてみてください。つづきはリアルで!
私は謙虚なんで誇れるところなんか無いです><
でも、これでは記事が書けない。考えてみると「記憶力」かな。

容量(メモリ)の無駄使い
記憶力といっても、何から何まで一言一句覚えてるとかありえない。全てを丸暗記してたら、ヒソカじゃないけどまさに「容量(メモリ)の無駄使い」。丸暗記しておいた方がよい事もあるけど、人間の容量には限界があるんだから、無駄使いせずに、容量にあった覚え方をしないと。

ある情報がどこにあるのか知っており、参照できればそれで十分だ。例えば、参照できるキーワードを覚えるとか。参照する機会が多い情報ならば自分の手元に置いておく。これは、本を買うとかデータベースを構築したりなど。ただ、手元に置くにしても限りがあるので、適宜図書館やウェブを使うことになる。電子データは、自身のHDDに保存する方法もあるけど、きちんと参照しやすい形で保存できないならウェブを参照した方が楽だし、これもやっぱり「容量(メモリ)の無駄使い」。
例えば、参考になるだろうなと思って買った参考書は、買ったことに満足して読まない。必要に迫られて買った参考書程使うものだ。[あとで読む]タグをつけたブックマークはいつまで経っても読まない。使うだろうと思って取っておいたダンボールの空き箱とかトイレットペーパーの芯は使わない。モノは「容量」=「場所」の無駄使い。電子データも同じ。余ほどレアなものでない限り、使うときに集めれば良い。集められる能力を養った方が後々の役にも立つってもんだ。

外部記憶装置
いずれは、攻殻機動隊のように電脳から直接外部記憶装置に参照できるようになるかもしれない。攻殻機動隊で、少佐達は聖書や文学からの引用を用いて会話するシーンがある。これは、外部記憶装置のなせる業だ。それならば我々が外部記憶装置を参照できればこなせる会話か、といえばそうでもない。外部記憶装置を参照できれば、話し手は即座に正しく引用でき、聞き手も何から引用されたのかすぐ理解できる。しかし、その引用した意図や意味までは簡単に理解できない。引用する言葉を一度自分で吟味して、自分の言葉にしておかない限り、つまりそれぞれの情報を自分自身と繋げておかない限り、少佐達のような会話はできないであろう。
外部記憶装置に参照できても、それぞれの情報を自身で相互にリンクさせておかないとやっぱり「容量の無駄使い」。そして宝の持ち腐れ。まぁこれは現状のウェブや本屋、図書館と変わりは無いわけで。電脳から直接外部記憶装置に参照できる利点は、時間でしかない。

こう考えると、私の誇れるところは「記憶力」というよりも情報収集力とか、各情報同士のネットワークを構築できる能力と言ったほうが適切か。

イメージを記憶する
ところで、私は人の顔と名前が一致しない事が多い。私は人に興味が無いんだろうか?ただ、その人のキャラクターなどは良く覚えている。名を前聞いて分からなくても、どんな雰囲気の人から聞いたら思い出したり。思い出を振り返るときも、名前よりもイメージが先行する。これは、名前じゃなくて中身に興味があるからかもしれない。

そういえば、私は「名前」に関して本当に無頓着。地名も全然覚えない。地名は覚えてないけど道順は覚えてる。地名よりも、○○がある場所って感じで覚えてるのでタクシーの運転手にはなれないぁ(笑)。また、そんな覚え方なので地図が描けない状況下で言葉のみで道案内するときに難儀する。「○○という交差点」とか「△△という通り」と言えず、「××が角にある交差点」とか言わないといけない。でも、何にも無い交差点もあるわけで。

こう考えると、かなりの部分を「イメージ」に頼っているのだなと思う。情報同士の繋がりを脳内に「イメージ」してるのだろう。ただ、「イメージ」に頼っている分だけ、誰かに説明するのがかなり難儀なんだけどね。変換が必要で、変換する際に齟齬が発生しないようにするのが大変。それこそ、地図を描かずに道案内するみたいにね。
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